アイフォン2016~ 983

昨日たまたまつけた番組で「盲ろう」の子供たちの事をとりあげていて
なんと国は統計も取っておらず実態を把握していないとか国の予算は全くないとか。
「盲ろう」の子供たちをどう育てていくのか、そういう事も全て民間任せ。
それ自体ひどい話で腹立たしく思ったんだけど
海外から招かれた専門家が「盲ろう」の少女に接するシーン
少女が全くの情報なしに他人に接し、恐れながらも一生懸命考えて危害を加えない信頼できる人間だと
答えを出す過程に考えさせられた.
当然彼女の思考には言葉が無い。
言葉が無く、一人で答えを見つけないといけない幼い子供。

そして同日、またタマタマ93歳の訪問診療を開拓したという医師の番組もやっていて。(Eテレ恐るべし)
彼は「在宅で命を終えること」を50年以上信条とし仕事をしてきたけれど
自らが癌におかされ「いずれ息も出来なくなるほどの苦しみがやってきてそれは辛い。その時に入院するか。しかし入院して再度家に戻れないかもしれない。それとも苦しみの中在宅でその時を迎えるか」という選択を迫られる。
そして迷い、答えが出せない。

人間の可能性や、辛さ、信念や迷い。
強さと弱さ。人間らしさ。
そういう事を考えてしまった。

生まれてること自体がすごい事で自分の体を自由に使えることはさらに凄い事。
その上目標を達成するとなると相当に低い確率なんだろう、たぶん。

「何不自由ない体に生まれてきたのだから幸せなのよ」なんてことが言いたいわけではなくて、どんなふうに生れ落ちても生き物は、人間は、すごくて。凄いけど無力でもある。ということ。

世間的に功績を残した人だとしても無力であると同時に
足跡など何も残せていないと思っている人もそんなことはない。存在していることの足跡はしっかりついているということ。

価値観とは照準がどこにあるかで全く違ってくる。
成功したとか出来なかったとかの線引きはないのかも。極論。
固執してはがんじがらめだ。
できるだけ広い視野でもって自分自身、世間、社会、世界を見て感じなくては。

な~~んてことをつつましく考える日もあります。
でもたとえ嘘でも日々楽しく過ごさないとイカンです。

取り留めのない文章。
自分の覚書みたいなものです。m(__)m