新しい居場所
九月中旬からショートステイも利用できなくなり
完全在宅での介護となった母
九月中は以前とたいして変わらず
私の介助で食事もちゃんと美味しく摂ることが出来
(といっても、水量を倍で炊いた軟飯と咀嚼と嚥下に負担のかからない細かなおかずですが)
介護続けるのはいいけれど、11月2日から一週間のイベント時に母ひとり在宅は無理なので
レスパイト入院をお願いするしかないと計画を進めていたやさき
10月1日の夕食時「おいしそうねえ」と食べ始めた直後の嚥下によって
飲食できず一日500ccの補液のみで繋いできた母
その後は日に日にではなく、時間をおうごとに様子が変化していきました。
よさそうな時もあれば、今まさに逝くのではと思う状態の時もあり
落ち着かない空気感の中でのシングル介護
医者や看護師に昨日の状態を聞かれても頭の中では時系列がバラバラでまとまりがつかず
先ほどの出来事が何日も枚の事のように感じられるという日がずっと続きました
そんな中で11月2日からのイベントの準備を並行して行うことは
外から見れば(いや、自分でも)大変な作業でしたが、それがあることで自分の心が埋もれずにすんだのはとても助かりました。
もうその時が近いかもしれないと連絡をした親戚が遠方からやってきてくれて
この空間を彩のあるものに変えてくれたり
意識のあるときは自分の妹達を認識し、表情を作ることもあった母
そのように気持ちが大波のまま「明日は搬入、設営日」という10月31日
当然「ハーモニー」の営業も続けていたのでこんな私でも正直ヘトヘトで、明日からどうなるだろうかと考えを巡らせていた夜九時頃
当然「ハーモニー」の営業も続けていたのでこんな私でも正直ヘトヘトで、明日からどうなるだろうかと考えを巡らせていた夜九時頃
断続的にあえぐ母に気付き大急ぎで吸引を施しましたが一向に状態が変わらず
大慌てで病院に連絡をとるも、夜間なので訪問してくれるまでの時間が長く、40分ほど待ったでしょうか。
その間も身体をさすったり呼びかけ続けますがそんなことしか出来ないもどかしく長い時間
やっと到着した医者は「今夜かもしれませんね」と。
補液のタンクに鎮静剤を注入していただき、酸素会社に連絡してもらい(息苦しさを少しでもおさえられればと)
酸素会社が来たのはそれから30分ほど。
鼻腔に酸素チューブをセットして、それからは見守りの時間になりました。
数日前に海外から駆け付けた妹と二人、手足をさすったり話しかけたり
まばたきもせず目を開いたままなので妹が目薬をさし、私は蒸しタオルで額から頬、首筋を温め軽くマッサージをしていると
パクパク動いていた顎の動きがゆっくりと止まり静かになりました。
そういうこと?!と思っても
人や動物が亡くなるときは苦しそうに大きく口を開け最後の息を吸うのが通例だと認識しているので
脈を探してみたり心臓の音を聞いてみたりしますが素人には判断つかず
結局医者に来てもらい診断していただいたのでした。
ちょうど午前0時。母は11月1日の深夜に逝きました。
その後、以前から打ち合わせしていた通り
看護師さんにいらしていただき妹と私の三人でエンジェルケアを施し
コンタクトを取っていた葬儀会社に連絡し、すべての段取りが終了したのが午前四時頃
母は安置所に預かってもらわずに、自宅で休んでもらうことにしました。
そんなこんなで眠れるわけもなく
昼からのイベントの設営に向かったのでした。
お手伝い頂いた方々のおかげで滞りなく展示も完了し、2日には無事に初日を迎えることが出来ました。
セレモニー的なことはせず2日初日の間、母に会いに来ていただいた数名の方は妹が対応し
3日の朝に斎苑にてお骨になった母。自宅に安置したのちに私は作品展会場に向かったのでした。
お骨になった母に日々送られながら
作品展は無事に終了することができました。
特に終了までの二週間は怒涛の日々すぎて記憶が飛んでいることもあるような気がします。
しかし、あまりにもスケジュールにきっちりと収まってくれた母。
その瞬間が作品展最中であったなら一層大変だったろう、1日の深夜に亡くなり明け方までに段取りを済ませることが出来たので1日の予定も変更せずにすんだし、
何より状態のよくない母が妹と自宅に居るという不安感を抱えない形で一週間作品展に向き合えたというのも、何か因縁めいたものを思わずにはいられません。
何より状態のよくない母が妹と自宅に居るという不安感を抱えない形で一週間作品展に向き合えたというのも、何か因縁めいたものを思わずにはいられません。
母が逝って半月、作品展が終了し1週間ほど
まだまだ心は通常モードには程遠い状態です。
これからやらなければならない役所関係のこともたくさんあるし、作品を購入頂いた方への発送など(これがまずは最速)
今年中にスッキリするのでしょうか。
しかし、妹が帰国する前にと頭と心を空にし
簡単にではありますが母の部屋の遺品整理をすでに9割ほど終えました。
何より「介護ベッド」これの存在感たるや・・・
大きな介護ベッドと階段昇降機、ベッドの大きなサイドテーブル、未使用のおむつやパット達
これがなくなるだけで、もぬけの殻のようになってしまう「母部屋」
有効利用しなければと大急ぎで大きめのワークテーブルを購入し組み立て、タンスの位置などを変え設置。
何もかもが大慌てです。
自分に考える、感じる隙を与えたくないのかもしれません。
しかし妹も海外に帰国し本当に一人になった今
まだ残務整理がたくさんあるとはいえ、これから私は何をどう感じていくのだろう
「介護するための時間や思考回路」は突然いらないものになったのです。
20年間あたりまえのように持ち続けていたものが。
自分がどうなっていくのか不安ではありますが
今後の私の思いの過程については改めて記していきたいと思います。