近頃は「熟慮に熟慮を重ねて」答えを導くということが少なくなってきたように思う。
無鉄砲というのとは違うんだけど
以前に比べると
思いつきとか、その気になったから、とかいう具合で物事に取り組むようになった。
あまり考えすぎても時間は無限にあるわけではないので
とりあえず行動しないと結果につながらないというのもわかってきた(この年で)
どちらかというとウロウロと考える癖であった私には変化だ。
慎重すぎると機を逃す。
もしこうなったら、ああなったら、なんてことはなってみなければわからないということだ。
確かに「人生最終章」というのもあるのだろうけど
介護をとおして学んだことも多そうだ。
高齢者の介護って「回復や改善」を見込んですることではないので
先に先に物事を考えてもいい答えというのが出にくいし
スパンを短く取り組んでいかないと明日の結果に結びつきにくい
今決めなきゃ、決断しなきゃ、ということがとても多いのだ
しかも親とはいえ人の人生を決断しないとならない
決断力や実行力がないと自分の気持ちがキツクなる。
決断した責任というのをしょい込みすぎると動きが取れなくなるし
すぐ次の対処法を選択しないとならない
サポートしてくれる専門家がいたとしても決めるのは私なのでほぼ独断。
これまでに数回あった生死にかかわるシーンでもそれが即決で求められた。
気持ちをウロウロもっていくなどという時間的ゆとりもなく、追い込まれ、消耗する。
自分の生き死にではなく人の生死にかかわる判断を迫られるのはキツイ。
それでも何かしらの結果は出て対応を続けていく日々の連なり
結果を後悔しても仕方がない、受け入れるしかない。
いかに今を最低限のストレスでやり過ごすか。それがとても大切で明日につながる。
直観だけで動かず、しっかりとリスクを考えながら行動するのは人間の特権でもあるのだけれど
時にはもたついたり前に進みにくいこともある。
そんな時は思いついたことを行動に移してみると新しい気づきが出てきたりもする。
介護って大変なんだけど、それを通して自分も少し変わってきたりするみたいだ
ルーティーンの日々にも新しい気づきって必要で
それが人をちょっとした希望に向かわせてくれたりする。
まず動いてみるのがいい、考えすぎる前に。