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介護制度がこのような形になってたぶん17年ほどだろうか
高齢者人口が多くなることを見越しての動きだろうけど
今や介護施設やスタッフも足りていないほど。

昭和の時代、老人ホームは姥捨て山のように言われた時代にだって、もちろん行政のサポートもない中で苦労を重ねて介護生活をされてきた方もいるけれど
今は当然のようにある程度の年齢になれば親の介護を考えざるを得ない。
それを思うと我々世代は初の「介護人世代」
母の時代に親の下の世話をした人がはたしてどの程度いるだろうか。

母はこのところ意識が(頭の中が)乱れることが多く
発言もとりとめなくいろいろな方向から思いも及ばない投球が来る。
「あの子たち(人形)はご飯食べたかしら。」「人形はご飯食べないよ」「そうね。でもお姉さんたちがあげてたのよ」(誰!)
「美味しいわねえ、先生のお姉さんのマッサージは本当においしいわ」
「〇〇(甥っ子の名)のお百姓さんは喜ぶわ」とかいうのが入り乱れて飛んでくる。

文脈やへったくれもないし、つじつま合わせなど出来るはずもない。
私としては「こんな思い出が頭の中で変換されて出てくるのね・・」などと感傷にふける事もない。
毎日のことだし朝から寝るまで常にこんな調子だと右から左へ受け流すことさえ労力に思えるほど。

もちろん頭の様子にも身体の様子にも波があるので
日によってコンディションは違うけれど
やはりここ数年振り返ると、生き物としての機能がグングン落ちてきたことは確か。

突然こうなったのではないし、ここに至るまで数々の山場その大変さを私も乗り越え母も乗り越えて辿り着いた状態だ。
なので「どんな状態になっても、その日よかったなと思えることが一つでもあればそれが全て」
という境地にいつからかたどり着いている。
たとえばニコニコしてるとか、食事が嬉しそうとか、私の問いかけに答えたとかそんなこと。
だからと言ってストレスが減るわけではないけど気が滅入っているよりはいい。

親にこういう気持ちを抱くなんて母には経験がない。
そういう高齢者は多いだろうなあ。高齢者介護なんてごく限られた気の毒な人が行う時代だったんだから、ちょっと前までは。

私だって出来れば親の介護生活なんてしたくなかったよ。
でもそれにふてくされる時期もとうの昔に過ぎたので、介護をしてきて学習したことや感じられたことが人生にプラスになっていると、時間の無駄ではなかったと勘違いコントロールをする方向に持って行っている。
人間思い込むと現実になったりするのであなどれない。
そうなればしめたもので、時間的制約が多い日々でも意外とニコニコ過ごせたりする。
感情コントロール。
思い込み内容は選んだ方がお得ということだ。