shizuのタフな日々~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 難病の進行性核上性麻痺を抱えるははを介護中。人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

2017年06月

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今日は母からちょっと離れたお話し。

20年近く前に亡くなった父は高校時代の友人達と高齢になっても深い親交を重ねてきました。
といってもほぼ助けられてばかりだった覚えがありますが・・・

皆さん社会的にも人間としてもとても立派な方ばかり。
その中でも素晴らしい人間力と優しさで社会的弱者に向かい合ってきた方が
「日本で一番大切にしたい会社」日本理化学工業の大山泰弘氏。

メディアでも取り上げられているのでご存知の方も多いと思いますが
社員の7割以上が知的障害者という、全国初の心身障害者雇用モデル工場を立ち上げた心優しく意志の強い素晴らしい方なのです。

個人的にも何度かお会いしてお話しを伺い
穏やかな心の広さに頭の下がる人格者。
ですがそんな方でも就任時に現在のようなスタイルを目指していたわけではなく
何度も訪れた偶然やトラブルによってその都度方向性を模索されていらしたようです。

誰しもが最初から完成された人間であるわけがありません。
私の介護も右も左もわからない所から現在に至るわけで、その間に折々、母との向かい方、自分の人生との折り合いについて考えてきました。
大山さんもやはりその都度、従業員とその家族に向き合ってこられたよう。
その結果「日本で一番大切にしたい会社」となりました。

そして「働く幸せ」を唱え続ける大山氏の心に刻まれた言葉は
「人間の究極の幸せは
人に愛されること
人に褒められること
人の役に立つこと
人から必要とされること」

いくつになっても人は褒められたいし必要とされたい。
そこに自分の存在価値を見いだすことが出来るから。
たとえ寝たきりになっても自分の何かで人が喜んでくれるのであれば
それは必要とされているという事。
今日は顔色が良い、食欲がある、なんでもいいと思うんです
家族や関係者はそれが嬉しい

家族が喜べば本人も嬉しい
幸せというのは連鎖なので周りに広がっていきます。
大変な状況の中でもきっと嬉しい事はあるはずなんだけど
大変に囚われているとそれが分からなくなってしまってグングン大変に引きずられてしまう。
今の私は、状況は大して変わらない(逆に良くない)けど何だか嬉しいし日々喜べることはあります。
昔は囚われてたなー、喜ばしくない状況に。

自分の幸せだけを追求していくとなかなかたどり着けないけれど
大山氏のように状況に巻き込まれながら周りを見据えていくと
いつの間にか人の笑顔に囲まれたり、自分も笑顔になったりしているのでしょうね。

すごい人ってすごいですよ。





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さて
介護対象者の様子というのはたぶん安定状態というのはほぼなく
日々変化していくものだと思うんだけど
数週間前初めて「てんかん的な発作」を起こし、なかなか焦りました。

いつものようにほぼ抱えた状態の手引きでゆっくり食卓に着かせ
一瞬の間、ほぼ白目状態で眼振をおこし手足が硬直。
すぐ気付いたのでイスから落ちないよう抱え、即血圧を測ると
なんと「76・46」。二度計っても同様で。
後から思えば多分15~20秒ほど。その後はいたって通常な状態に復帰したのですが・・・

当然訪問医療サポートに電話したり後日訪問診療の医者に見解を伺うも
う~~~ん。。。断定的な回答は得られず。
大きな既往症がいくつもあるので、私としては致命的な「循環器官系」をまず心配するわけです。
ここは強引に「心臓エコーヨロシク!」と押しまくり
久々に病院にての検査諸々。

ウチの場合、訪問の担当医が総合内科なのでやはり専門医の見解を聞きたいという思いも有り。
循環器の医師いわく心臓関係は問題なく、考えられるのはやはり脳。
「進行性核上性麻痺の影響かと」と。
専門医に徹底して調べてもらい後の診断であるからそれなりに説得力も有り飲み込めるというもの。

私が疑い深すぎるのかなんなのか
どうも医者の「たぶんこうだね」というサラッと下す診断は納得いかないわけです。
というわけで「難病による血圧コントロールの低下」ということで
あとは発作が起きないように細心の注意をはらう、という方向に落ち着いたのですが

このところ歩行もそうとう難しくなってきた母。
膝の痛みも訴えて左右の筋肉の質が違うことは私にもわかるほど
確かにこの「進行性核上性麻痺」というのは
「脳幹、小脳の細胞が死んでいくという病で最終的に呼吸も出来なくなり寝たきり」
ということは知っています。
でもだからといって
「歩けなくなるのは脳病の進行の影響なので筋力をつけても無意味」というスタンスはいかがなものか
「筋力付けても仕方がないよ」というのはいかがなものか。
筋力はあってしかるべき。
たとえ歩けなくても寝たきりでも筋肉が細く固ければ痛みも出るし何より辛い。

クオリティオブライフではないのか。
毎日、今日という日を生きている。
今日はこれができた、今日はこんなことが嬉しかったということを少しでも繰り返したいために
その為に介護や看病をしているんですよ、家族は!
来たるべき寝たきり生活の「準備段階としての今日」にはしたくないのだと改めて強く思うのでありました。




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