
ありがたいありがたいショートステイ
ステイ中は私も心置きなく仕事に取り組めるというものだ。
時間も気にせずのびのびと。
帰宅して当日、翌々日くらいまでは状態もそこそこ安定している母
しかし、なぜだか必ず三日目、起床時から心身ともに不安定に。
身体を使えなくなり歩行もままならなく
トイレに行かせるのもどうにかこうにか。
ほぼ抱きかかえて操作しているという具合
そんな三日目も過ぎた
本日、昼食をとらせるため食卓につかせてすぐに事態はおきた。
私がシンクに体を向け振り返ったとたん
眼球がグッと上を向き振動し目が濁ってふるえる
身体も硬直し今にも椅子から落ちそうなのをいそいで抱え押さえ。
発作だ。なんらかの。こういうことは初めて
直後血圧測定するとなんと76/46
しばらく様子を見てからゆっくりとベッドへ。
その後はほぼ変わりもなく体調不良もうったえないが
病院へ連絡し担当看護師に意見を聞くも不安感はぬぐえず
検索、検索
既往症がたくさんありすぎの年寄りだし、何もかもが影響し合っているのだろう。
こういうとき一人というのは心細いものだ。
毎回思う。
今まで何度あったろうか。脳梗塞、骨折、転倒、心臓発作、急性胆管炎
繰り返し起こる。
どうにか介護体制が安定したと思っても
高齢者の状態はすぐに変化するので気が抜けない。
その時以降
食卓までの移動も不可。
発作や突然の体調不良を目にするとこちらの気持ちもやられるもんです
自分が具合悪くするのと、人の健康状態を管理するのとでは全く違う。
気が抜けないといってもずっと見張っているわけにもいかない
雑事をしながらちょこちょこ
「どお?」と様子を見にいくと
よくないのよ、と「よくなさそうな表情」を作っていう母
頭の動きも不安定になっているので発言も支離滅裂
不安なんです、と敬語。
場所も人間も良くわからなくなるらしく、そういう時の二人暮らしというのは切ないもの。
「しづは私だよ、私がしづ」「あらそうか、しづって娘の」
「だんだんわかってきた。そうかーしづね」
そして
「しづねえ、背中をさすってあげたい」
なんで?
「愛おしいから」
初めて聞きました。そうかあ、根底でそう思っていたのかと。
「だっていろいろと面倒見てくれているんでしょ?」
なぜ疑問符なのかわかりませんがそういう観念もあるのかと
混乱時に知ることも意外とあります。
こういうのは複雑で切ない。
以前
「勉強するの忘れちゃった、勉強しないといけなかったのに。
じゃないとどんどん忘れていっちゃう」
と言った時には「忘れたらまたおしえてあげるから大丈夫」と伝えたものだった。
そして再び、どお?具合は?
と聞くと
「さっきよりは大分いい。しづがいるからね」と
とてもいい表情をしやがった。
いつも虎のように吠えている私でも考えさせられる
自分の振り子のような心。答えが出ない事というのは世の中たくさんある。
どんどん老いて、様々な機能がきかなくなっていく母との日々。
いつかそれが終了した時
私はどう思いそれからの日々をどう過ごしていくのだろう。
介護生活長すぎてわかりません。