shizuのタフな日々~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 難病の進行性核上性麻痺を抱えるははを介護中。人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

2017年03月

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結構体力はある方だと思う。(大柄だ、とかそういうことではなく)
そういう意味で疲れるという事はさしてないと思うんだが
気力はこれに伴わないのでやっかいだ。

身体が弱っているときはイコールで気力も弱くなるものだけれど
だからといって体力がある時に気力もあるかというと、そこはイコールではない。

たとえば介護をしていると
どっと一気にエネルギーを取られる。という事がある。
それまで「よっこいしょ」と日々自分を励ましながらキープしていた気力が一気に落ちる時が。
様々な想定をして行っている介護だけれど、時にあるんですよ。想定外が。
そんな時に一気にエネルギーが無くなる。メーターはゼロへ・・・

そのメーターを再び上げることは多少の労力と時間を必要とする。
やっかいなのは自分の人生の何もかものメーターがゼロになること。「介護メーター」ではなく「人生メーター」だということ。
泣きたくなるほど人生が悲しく空しくなる。泣かないけど。
何によって、なくなったモチベーションを上げていくのか。

ダメだ!と思った時に、ダメじゃない!とは思えないものだ。
ダメだ!の力は凄いものなので、反対のベクトル「ダメじゃない!」を入れ込もうとするともっと辛くなり
いい手段ではないので、そういう時はあえてヘラヘラダメ人間になるように心掛ける。
(ダメ人間なんて心掛けてなるものではないですが・・・)

大きなエネルギーを取られてしまう時というのは
結構計画的に物事に取り組んでいるときであったりする。
仕事に関してはそれで正解だけれど、その流れのまま介護に移行するとこういうパンチを食らう。
しまった。介護はある程度いいかげんでないとダメだったんだと改めて気づく。
こうあってほしいと期待しすぎてはいけない。
思い描く流れのようにはいかないのだ。

介護のみならず自分ではない者のお世話をするというのはそういうことなのだ。
こちらの自我はある程度なくしてのぞまないと。


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シングルで介護をしていてとなると
よく「自分のことが出来ないでしょう」と言われる。
どうなんだろう。出来ていないんだろうか。

確かに母の在宅を意識せずに外出したり人と会ったりすることは不可能で
介護生活当初、それまで「自分の人生を生きてきた」私には相当のストレスだった。
一人暮らしをしていたということもあり
今更ながらの親との生活。

家を出た人間が親の事情でまた生活を共にするのはなかなか厳しいものがあった。
釈然としない貧乏くじ感。
そうなると、その思いに常にとらわれるように。
あの時期は、いやつい最近までは人にグチをこぼすこともあったし情けない思いをぶつけることもあった。
当然だと思う。

それが母が悪くなるにつれ、腹が据わってきたのか開き直ったのか
今この現状が事実だと淡々と日々を送るように。
それが良いとかそうなるべきだというのではなく「そうなった」
自己防衛かも。
自分を守ったのだと思う。

自分で自分を追い詰めるようなことをなるべく避けた。
ただでさえギリギリの状態だから、これを「辛い」と思ってしまっては逃げ場がない。

諦めとかではなく
これからの人生を思ったところで今はどうにも出来ないのだから、と。
今この現状をそのまま受け止めて、その中でちょっといいことを拾おうと。
想像的でないといわれればそうなのかもしれないけれど、そういう生き方もある。

そんな中で隙間に「自分の時間」を持つ。
タップリではないけれど「自分のことが全くできていない」ことはない。
タップリの人から見れば「出来ていない」のかもしれないけど。

今後はわからないけど
今は樹のようで居たいなと思う。
その場でふわりふわりと風をかわしていきたいなと。(逆風でもね)



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