shizuのタフな日々~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 難病の進行性核上性麻痺を抱えるははを介護中。人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

2017年02月

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不本意な現状でいると思う事は誰にでもあると思う。

介護なんかしていると特にそうではあるけれど、のみならずどんな状況でも。
他人が羨ましいと思うような生活をしてる人にもきっとあるんだろう。

そりゃあ世の中には昔から思い描いていた自分というものになっている人もいるのだろうけれど
大抵の人は何かしら不満を抱えている。程度の差こそあれ。

二十年近く前、母と同居せざるを得ない状況になった時は絶望したものだ。
一人暮らしをしていたので自分の人生をいくにあたって、今更母と同居と言うのはマイナスでしかないと悲嘆にくれた。
それから長い間、自分は縛られているとずっと思っていたし、行動範囲が狭まり
限られた時間の中、自分の人生構築していくということが不可能だとずっと思っていた。

こうしたかったのにこう出来ない、ああなるはずだったのになれない。と
今の自分でない物をずっと見てきた。
でも、でもそうなると今の自分はどこに行ってしまうんだ?とやっと気づいたのは本当にここ数年。
今の私を見つめないと、と。
今ではない自分を理想像と思い描いて空を見上げても仕方ないのよ。自分の足元見て進まないと滑って転んじゃう。

様々なジャンルのいろんな仕事をしてきて全てがまったく別物のようだけれど、でもその全てが今の私を作っている。
ウロウロといろんな道をさまよってここにたどり着いた。
後悔もたくさんあって、違う選択をしてしまったという思いも人一倍あるけどそれも経験だなーと。

ゴッホ作品のように過去の自分を時代分けして考えることにしている。「赤の時代」「青の時代」「黄色の時代」とか。
様々な色の時代があるので白でも黒でもない今の複雑怪奇な色の自分が出来あがったと・・・

人生何が起こるか分からない。
いい事も、そうでない事も。

むかーし舞台の仕事をしてたときNYに行ってブロードウェイの女優さんと話す機会があった。
どんな仕事をしているのかと尋ねられて
ミュージカルとか船のショーとか振付とか・・・と不安定なんですという答えをしたら
キラキラした目で「素敵!いろいろなことをしているのね!」と。

なーるほどー。
一つの事を極める人はとっても理想で憧れるけど
いろんなことが出来るんですよという生き方もあるのかと思わされた。

何もかもどちらの方向から眺めるのかで出る答えが違ってくる。
上から見下ろすのか、下から見上げるのか。
どちらにしても自分の立ち位置から核となる自分を見つめないとグラグラになっちゃうよねー。
いい意味で自分中心にならないとね。




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どんな仕事に携わっている人にだって自負心はあるし
仕事を進めていく上でのクセみたいなものがあると思う。

それは医者だって看護師だって同じこと。
一応昔から「聖職」という括りの内の仕事だから
多くの人が「聖職者」としての幻想を抱くけれど私らと同じ普通の男女。
中にはメディアで取り上げられるような「凄い人」もいらっしゃるが、まあ大抵は「普通の人」
それでいいんです。
世の中を動かしているほとんどが「普通の人」なのですから。

それはわかっていても
医者はこうあるべき、看護師はこうあるべき、警官はこうあるべき、教師はこうあるべき
という思いを抱いてしまうので、それからずれてしまうと「この人は信用できない」なんてことになってしまったりする。
当然人間関係だから、ウマが合わないということもある。
美容師だって「この人あわないな」と思う事あるでしょう?同じことです。
中には仕事が出来ない奴というのも居たりするから、そこを見極めるのも大変だ。

にっちもさっちも行かなくなり診断を仰ぎに行くときは別として
専門職だからと相手に全てをゆだねるのではなく、ある程度の知識は常識的な範疇で頭に入れておくのがベストだと思う。
全てを丸投げするほど怖いことはない。

以前も書いたけれど、同じ数値でも医者によって目の付け所は違うし、問題視するかしないかも違う。
ここで重要なのはその医者の患者に対する「伝え方の癖」を把握すること。
深刻に話すタイプか、楽観的に話すタイプかでこちらの受け取り方も相当に違う。
医者は良かれと思って自分のスタイルを貫いているのだけれど、それに振り回されてはいけないと思う。
患者サイドが冷静にならないとダメだ。

一度や二度会ったところでそれを把握するのは難しいけれど
回を重ねていくうちにその人が見えてくる。
すると・・・その人の自尊心は保ったまま、こちらの要求を提示することが出来るようになる。
上下関係は作らずに、でも尊敬はしておりますし頼りにしていますという姿勢でいい関係を築くことが出来るようになる。
そしてその方が向こうもやりやすい。
仕事依頼をするということだからwinwinの関係でないとお互いストレス溜まります。
全面的に信用しすぎるのも、疑いすぎるのもこちらにとってはプラスにならないですからね。かしこくかしこく。

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介護と言うのはジレンマとの戦いだよなあと日々思う。
介護のみならず子育てもそうなのかもしれないけど
相手を思う気持ちなのか、はたまた自分自身の為なのか。

家族に対峙していてもこれは人間関係。正直100%相手の為を思うのみなんてありえないし、
相手を思い過ぎ自分を削ってしまっては共倒れになる。

こちらがストレスを溜めすぎて「あなたの為を思って」的に接するのはけっして正しい方向とは言えない。
毎日の事だから「あなたの為を思って」がそうそう同じウエイトで続くわけがない。
あなたの為でもあるけれど私の為でもある。という関係性が理想だ。

それは決して悪い事なんかではなく、ごく普通の事だと思う。

ただ介護の場合はどうしても「こちらが面倒を見ている」という図式になってしまうのでwinwinの関係が見えてこない。
不公平感ただよう毎日になってしまうので、そこをどうにかしなければ。
相手の為にも保身は大切。
なので必要なのは、言葉はよくないかもしれないけど「手抜き」だ。

真面目な人ほど「全て心を込めて接しない自分は間違っている」ととらえがちな気がする。
でも何度も言うけど、毎日の事だからそんなのは無理なんです。
どこかで手を抜かないと、心を込めることさえ出来なくなってくる。
自分はそれが分かっているので抜くときは抜く。
それは決して悪い事なんかではないし、言いわけでもない。
ただでさえ介護は一日の相当の時間をとられるので、被害者意識が出る前に手段を打っておかないと
「かわいそうな、大変な自分」と思い込んでしまう。
その方が怖い。
なので、「そこのところを上手くコントロール出来るやれる自分」と思えた方がどれほどいいか。

相手は自分の思うようにはならない。本当に。
身体のコンディションも日々違う。
そんな時、じゃあもういいや。と思う。
絶対!是が非でも!と頑張らないようにする。
全部食べてくれればいいけど食べないならこれだけでも。量食べないなら半分でも。
体位をとってほしいけど、とれないならこんな感じでもいいか。
すいませんヘルパーさん片付けてないから散らかってますけど。とか。

人間やれる分量ってのはあって、それ以上抱え込むことは無理なこともある。
今の私はショートステイさんにお願いすることも自己コントロールの一つ。
母が帰宅すればまた新たな気持ちで迎えることもできるし、母が留守だから考えられることもたくさんある。
仕事も心置きなく取り組めるし、そういう時間があればニュートラルになることが出来る。
そうやってバランスのとれる自分を探っている。母の為にもね。



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