
不本意な現状でいると思う事は誰にでもあると思う。
介護なんかしていると特にそうではあるけれど、のみならずどんな状況でも。
他人が羨ましいと思うような生活をしてる人にもきっとあるんだろう。
そりゃあ世の中には昔から思い描いていた自分というものになっている人もいるのだろうけれど
大抵の人は何かしら不満を抱えている。程度の差こそあれ。
二十年近く前、母と同居せざるを得ない状況になった時は絶望したものだ。
一人暮らしをしていたので自分の人生をいくにあたって、今更母と同居と言うのはマイナスでしかないと悲嘆にくれた。
それから長い間、自分は縛られているとずっと思っていたし、行動範囲が狭まり
限られた時間の中、自分の人生構築していくということが不可能だとずっと思っていた。
こうしたかったのにこう出来ない、ああなるはずだったのになれない。と
今の自分でない物をずっと見てきた。
でも、でもそうなると今の自分はどこに行ってしまうんだ?とやっと気づいたのは本当にここ数年。
今の私を見つめないと、と。
今ではない自分を理想像と思い描いて空を見上げても仕方ないのよ。自分の足元見て進まないと滑って転んじゃう。
様々なジャンルのいろんな仕事をしてきて全てがまったく別物のようだけれど、でもその全てが今の私を作っている。
ウロウロといろんな道をさまよってここにたどり着いた。
後悔もたくさんあって、違う選択をしてしまったという思いも人一倍あるけどそれも経験だなーと。
ゴッホ作品のように過去の自分を時代分けして考えることにしている。「赤の時代」「青の時代」「黄色の時代」とか。
様々な色の時代があるので白でも黒でもない今の複雑怪奇な色の自分が出来あがったと・・・
人生何が起こるか分からない。
いい事も、そうでない事も。
むかーし舞台の仕事をしてたときNYに行ってブロードウェイの女優さんと話す機会があった。
どんな仕事をしているのかと尋ねられて
ミュージカルとか船のショーとか振付とか・・・と不安定なんですという答えをしたら
キラキラした目で「素敵!いろいろなことをしているのね!」と。
なーるほどー。
一つの事を極める人はとっても理想で憧れるけど
いろんなことが出来るんですよという生き方もあるのかと思わされた。
何もかもどちらの方向から眺めるのかで出る答えが違ってくる。
上から見下ろすのか、下から見上げるのか。
どちらにしても自分の立ち位置から核となる自分を見つめないとグラグラになっちゃうよねー。
いい意味で自分中心にならないとね。