
切ない。切なすぎると思う。
数日前目にした記事が。
当然昔からこういうたぐいの切ない事件は多いけれど、自分が介護する側の当事者になると事件を起こしてしまった当人の心持を多少は察することができるだけになおさら辛い。
47歳の女性(あっちゃん)がご両親を殺害してしまった事件。もともとお母さんの介護をしていたけれど、唯一収入を得ていたお父さんも体を壊してトイレさえ自力で行けなくなった。そのお父さんに心中を打診されたあっちゃんがおこした事件。
当然新庄風景はニュースで細かく流れないけれど、優しい気持ちがゆえに起こしてしまったやむにやまれぬ思いを言うのは想像するにあまりある。
親のめんどうでもなんでも、引き受けられる人というのはどんどんその深みにはまっていく。
周りの手をかりたり助けてもらうことを罪悪だとは思っていなくても、毎日の大変から、環境を変えるステップを踏み出せない。
一歩踏み出せれば少しづつそちらにシフトしていけるんだけど、どんなことでも最初の一歩は難しい。
特に親の介護と言うのはデリケートな問題で、身近に同じ問題を感じて考えてくれる家族がいればまだしも、一人でやりくりしている当人にしてみると親の下(排泄)のことやら食事のことやら生命の根幹にあるものを人に相談するというのは「もうお手上げなんです」と自分がギブアップしてるんだと認識するようなものだから。
ギブアップなんかしてないよ。大丈夫。と思い続け、他の介入をできるだけ回避しているとドンドン追い込まれる。
そこに収入の問題が絡んでくると本当にやっかい。
介護サービスにしろなににしろ、無料で受けられるものではないし、収入によって支払う額が違う物だからその現実にも何度も目を向けなくてはならないし、自分の恥部をさらすように感じることもあると思う。
でも、ここが肝心なんだけど、というか自分自身にも言い聞かせたいところでもあるけれど
行政サービスは利用してなんぼだ。
あちらから「こんなサービスいかがですか?」なんて誰も親切にやってきてくれたりはしないから
こちらから厚かましいほどにグイグイとサービス提供を要求するくらいのスタンスでないとタフには介護生活を送れない。
こんな不安定な世の中に泣き寝入りをしないためにも図々しく歩いて行かないとダメだ。
利用する人はどんなことでも利用している。
利用できるサービスはとことん利用して自分ののりしろを広げていかないと共倒れになってしまう。
一時期「鈍感力」という言葉がはやったけどあれだ。
本当の鈍感は問題だけど、敏感にキャッチできる部分と、意識的に鈍感でいられる部分をコントロールできれば心の負担も減らせるだろう。
介護生活を長く送っていると、自己否定に行きついたりする。
自己否定か、介護対象をまるごと否定するかどちらか。
介護によって時間も何もかもを自分に向けて利用できなくなるので、自己の存在が空しくなってくる。
そうなりたくはないし、そうなったとしてもそこから脱却したいし、それにはやはり他に介入してもらうしかない。
すんごく面倒くさいし、思うように事も運ばないこともあるけれど、でも最終的にある程度の自分の時間は確保できる。
そういう時間を持てないと感性も錆びついてくる気がして怖い。
だから一人で頑張っている優しい人たちにも介護サービスを受けてほしいし、役所の窓口でタフにいろいろと相談してほしい。
役所で打ちのめされることは全くないんだから。利用してる人はたくさんいるんだから。