shizuのタフな日々~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 難病の進行性核上性麻痺を抱えるははを介護中。人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

2016年02月

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なんだかんだと家族の諸々に携わらなければならない人はいろいろと「やりたいこと」があるに違いない。
やはり少なからず、時間と気持ちをとられてしまうから
思い通りに過ごすという事はむつかしい。

私もごたぶんにもれずあれこれあるけれど
この時期特に欲しい時間は「入浴時間」
母がいるとー入浴できないんですよね。
もう一人家族がいれば可能なんだけど、日が暮れてからのまとまった時間目を離すのが怖いわけで。
トイレやお風呂など、ドアを閉めての空間に居る時はやはり何かあっても対応しずらいですから。
なのでー、やはりありがたいのはショートステイ。

お泊りさせていただいている日はゆっくりと入浴時間が取れますから。
ショート以外の日は季節とわずシャワーなので、お客様に「入浴は大切」と言っている割には
なんというか「紺屋の白袴」
入浴自体が贅沢時間なんですよ!!

母の人生を考えるのも大切なことなんですが
自分の人生見失ってはいけない。これは本当に大前提ですよね。
なのでショートに行ってもらうことに罪悪をもたないように。。

わかっていてもしばしば忘れ去られることがありますが、今ここに生きているのは自分自身なので
それはベースとしてシッカリ保っておきたい。
そう思うだけでも意識しないのとはまるで違うのでは?

たいしたイベントがなくとも、ただ淡々と日をおくっているようでも
それでも自分に耳を傾けなきゃ。それがおざなりになるといつかバン!!と爆発してしまいますよ。
皆さまもお気を付け下さいませね。




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というわけで
あれから数日たったけれど
母は回復の兆しを見せず。
未だに動けないままで。
しかし、あのあと気付いたのは「ひょっとするとこれは風邪なのか」ということ。

以前もあったんですよねー、突然動けなくなり「風邪であった」ということが。
その時に今後の為に処方していただいたPLっていう風邪薬を今回も服用。
確かに熱を測ると37度前後はあったのでたぶん風はひいていると思う。
しかし、寝てばかりいると昼夜の感覚もなくなってくるしい発言もいつも以上におかしくなる。
ウチにいるのに病院だと思い込んで何度説明しても理解できなかったり
17年も前に亡くなった父の事を「どこ行ったのかしらね」と何度も聞かれる。
亡くなったんだと説明してもどうやらピンとこないらしく
「なに言ってるのかわからない」と言われる始末。

まあ薬のおかげか熱は下がったけれども
以前と違って、身体が動けない状態は続いている。。。。
何が大変ってトイレ。
今年に入り、ポータブルトイレを購入したから助かるものの
動けない63キロの人間を抱えて座らせるって言うのは並大抵ではないんですよね。
トイレに座らせたとしても当然オムツは汚れているので交換はしないといけない。
オムツを変えるだけの方がまだ楽という(T_T)
まあ本人に行くと言う意思があるかぎりトイレに座らせたいですしねえ。
しかし心底大変ですよ。

どうなるんだろ。次回のショートステイはやはり無理なんだろうか
とモンモンとしつつ問い合わせてみると
なんと!大丈夫ですよ♡と神の一言。
動けない母をスタッフさん数人で車椅子にのせて移動させてくださると言うのだ!!
なんとありがたいことか!
もうねえ、、、ショートとヘルパーさんなしでは私がまいっちゃう。
体力もそうだけど気力が続かなくて。

次回のショートから帰宅してあいかわらずだったら
もう寝たきりを選択しないといけないだろうか。。。
今まではそれを拒否してきたから「布団使用」だったけれど

続くようだと介護ベッド、検討しないといけないのかなあ・・・・

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頭を悩ませるのは
介護サービスの使い方。
ショートステイは非常にありがたいし、ショートなくしては私の生活は成り立たないほど。
夜に予約が入っても心置きなく接客できるし、気がかりがないのはとてもありがたい。
母が在宅時は、職場と自宅を行ったり来たりだし、長時間の接客だとやはり気をもむこともある。
ヘルパーさんが来てくれてもそれはものの30分だし、
それ以外の時間にトイレに行こうとすることだってあるからね。

だからショートステイはかかせない。
が、
お泊りではスタッフさんが全てサポートしてくださる。
安全面を考えればそれに越したことがないし、頭が下がる思いだ。
自宅では私がガミガミ無理やりにでも歩かせようとしたり、食事の時も三食食べとなかなかうるさい。
だからなのか、在宅時はそこそこ動けいてる(気がする)
ところがショートステイから帰宅すると、行く前とは別人のように動けなくなって帰ってくることもしばしば。
立つこともできない。自分の体を支えることも、横になって状態を起き上がらせることすらできない・・・できないできない。なんにもできない。。。
これは、寝たきりにさせたくないがゆえにできるだけ普通にさせたいという私には大変なこと。
紙おむつはしていても、できるだけトイレに行かせたいし、食事は食卓でさせたい。
そんな当たり前のことをさせるのに小一時間はかかる。
トイレに行くまでに何回も転ぶことだってある。
大抵はショートから帰宅数日で回復してくるとはいえ
二、三日この状態と言うのは仕事を抱えている身にはつらい。

ショートステイさんも勿論ある程度歩かせたりはしてくれているのだけど
それ以上を望むことは難しい。リハビリ施設ではなく「お泊りをさせてくれるところ」だから。
かといってショートステイなしは考えられない。

という行ったり来たりを日常的にくりかえしている。
私もねえ、若くはないので母の身体を全部まかせられるとキツイんですよ。
手首ひねったりするので仕事に支障が出ると目も当てられない。
まいっちゃうなあ・・・・・・




「身の丈」ということばがあるけれど
どうなんだろ、これは「身の程をわきまえなさい」的なニュアンスとは違うと思う。
私は身の丈で生きたいな。
どういうことかというと「それ以上でもそれ以下でもない」ということ。
世間の尺で見ない、自分自身で生きると言う事なんだと思うよ「身の丈」っていうのは。

自分の身の丈で生きる。
自分の尺で自分自身を計っていくということではないでしょうか?
若いころはなかなか難しい。いや、歳とったって難しい事ではあるんですが
穏やかに自分をみつめてみたほうがいい。
卑屈になるのも投げやりになるのもいけませんよ。
あまりいい気になるのも良いことではないですが(傷つく人がいても分からなかったりするので)
自分自身を傷つけてはもっといけない。
それはクセになってしまうから。
大変なことなどは日々あたりまえのようにあって、大抵の人がそのなかで折り合いをつけて生きているから。

私も不必要にもがいた時期は長かったですが
「大変なんだ」の呪縛にとらわれると何もかもが大変になって
そんな自分が特別なんだという方向に向きがちです。
それは辛いし悲しい事。
呪縛から解き放されたいなあと気づいたんですね。
世間の尺で見すぎるとこうなりがちです。

世間の尺は世間の尺。それもあってしかるべきなんだけど
自分の尺は別に持っていないと。
それを使いこなすとなかなかいいです。
それが「身の丈で生きる」ということなんだと思うなあ。



なんかの番組でやっていたけど
人間は、インプットとアウトプットの両方が大切で
特に年を取るとアウトプットがとても大切になるという事。
すごくわかる。
発信するというのは再び取り入れたものを見直し再確認することにもなるし
自分になじませるにはそれが一番。
そして、表現すると言う事。
自分の言葉でものを言って人に伝えること。
高齢者はえてしてそれが苦手。わかってもらってあたりまえだと思っているふしさえある。
若者だって高齢者だって、恋人だって親子関係だって、伝えないと他者はわからない。
子供は頑張って伝えようとする。
表現手段がつたないからなおさら一生懸命だけど
本来はそうあるべきなんだ。

勿論話すことのみでなく、絵を描いたり物を造ったりすること。
植物を育てたりそういうことでもいい。
そしてスポーツ。
自分のエネルギーを外向きにするということでバランスがとれていく。
本を読んだり、いろいろと検索して知識を増やしていくことも大切だけど
入れるだけでなく、外に出していかないとバランスが崩れてしまう。
外に出すだけで、入れていかないと枯れてしまうしそうバランスはとっても大切ですよ。

老け込みたくない人はそうするべき。
疲れたくない人もそうするべき。
そのバランスが崩れるとよからぬストレスが溜まってくるし、無性に疲れてくる。
不健康な自律神経になってくるとはそういうことですね。
出し入れがうまくいっていればきっと気分よく毎日をおくれるはずですよ。

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