shizuのタフな日々~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 難病の進行性核上性麻痺を抱えるははを介護中。人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

2016年01月



母との向き合い方

これはなかなか難しいです。
元々とても仲良かった親子というわけでもなく
まあそこそこ親子していた関係なので。
なんというか・・・彼女は「子育て命」だった人ではないので
運動会や遠足にはお弁当作りますよ。あとは勝手にどうぞ
という感覚。
朝ごはんを作ってもらったこともなく、高校のお弁当なども自分で作ってましたし。
でもそんなもんだろうなあと思っていたので不満があったわけでもないですが。

なので
面倒みたもらった分お返ししているという感覚もないのですよ。
ですから介護という体制に入った当初は不満でしたし負担でした。
今でも当然負担が無いわけではありませんが
負担感をいだくスパンが長くなってきているとは思います。
なぜ私がという思いもマヒしてきたのか薄れているようです。

これはやはり介護保険制度利用
ケアマネさんや施設スタッフ、ヘルパーさんなどとやりとりがあるからかもしれません。
もちろん人間関係、行き違いがあることも多少の不満があることもありますが
それゆえやりとりが多くなるのも悪い事ではありません。
ひとりで悶々としているよりよっぽど発散になるというものです。

介護制度自体まだ歴史が浅く
利用しだした当初はこちらもあちらも手探り状態。
年月をかけてお互い歩み寄れたようです。
ここにくるまで、ケアマネさんは4人、施設も四か所変更しました。
その度に出直し感はありますがこちらの要望をうまく伝え関係を築いていくしかありません。

いっぱいいっぱいになった時泣きついたこともありました。
そうやってどうにか信頼関係を構築していくんですね。

そうして私と母をわかってもらう。親子の距離感もわかってもらうことで
協力者を得た感覚になり、そのうえでやっと母と向きあえる気がします。






私の人生の柱は何なんだろう
と、思うことがある。
日々、時間単位で区切っていくとやはり手がかかるのは母の事。
では介護が私の中心にあるのか。それで人生廻っているのか。
いやいや、振り回されているのはいなめないれど
それはハッキリいって「仕方ないので関わっていること」
関わってしまったら適当にというのも情けない話なのでソコソコ頑張っている。
・・・と、今は言える。

私には介護以外の側面もたくさんあるのだ。
自分自身に対するモチベーションだって高いつもりだ。
ドスンと落ち込んだこともあったけれど
だんだん知恵もついてきてどうにか持ちこたえた。
持ちこたえると女は強い。
自分を引っ張り上げることだって意外とできる。

たとえば
今まで自分が歩んできた数々の人生(仕事ともいう)
これは今の仕事にもすごく役立っているし、
女性として生きていくにあたってもいろいろな方向から物を見定めるすべにもなる。

たくさんの時間踊ってきて
自分の体の声を聞くことができるし
それは自分の体のみならず人の身体をみる時にとても役に立つ。
母の体やお客さんの身体。
「こうやって立った方が身体が楽なのに」とか「もっと楽に息が吸えるのに」とか
そのようなこと。

うそっぽく聞こえてしまうのが怖いけれど
本当にこの人の役に立ちたい。と思ってその時間を過ごしている。
キレイごとではなく、悩む時間も何もかもが一期一会だなあとしみじみ思う。



シングル(独身)で
、仕事をしていて、親と同居。

しかも実家暮らしではない。

しかも親は要介護。

兄弟も身近には居ず・・・

と書き連ねると「どうやって暮らしているのか?!」自分でも不思議だけれど
複雑な方程式で成り立っている日々。

自営業(個人事業)をしていて、これまでオフレコとは言わないまでも
あえてお客さま方にお伝えすることのなかった私的な思いや日常を
もう、なんだか発信したくなってきた。

こんなに長く(!?)生きてきていろいろな道を踏んできたので、ここらでまとめておいて己の備忘録にしようという算段もあったりするのですが。

まずは介護のお話から。

現在母を在宅介護の身ではありますが
以前は実家を離れ一人暮らし。
父が亡くなったのを機に母と同居生活になりました。

家族と同居していた妹はその段階で結婚が決まっておりましたし
それまで父に依存していた母が一人暮らしなど出来るわけもなく
当然のように私の「母との同居」のレールがしかれたわけです。
今となってはツラッと書き述べることもできますが、当時は「私の人生は終わった・・」
と心は荒れまくっておりました。
当時30代半ば。まあ仕方のないことです。

ちなみに現在母は身体障害者一級、要介護2(申請すれば5には変更できる!と勧められていても、まあ使用料が上がるので今は待機中(^^;))
一年ほど前の心臓大手術後(心臓弁置換、バイパス計10時間手術でどうにか生還)は
足腰も一気に効かなくなり、なかなか大変ですっ(^_^;)

それでも介護のいろはも知らなかった昔と今では
サービス利用やケアマネさんとのやりとりも多少は上手くなり
どうにか自分自身も廻るようになってきた、そんなお話もしていきたいと思います。



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