shizuのタフな日々~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 難病の進行性核上性麻痺を抱えるははを介護中。人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

2016年01月


しまったしまった。

こういうことがたまーにある。ダラダラ不調続きと言うのはないんだけれど
元気に「わはは!!」と生活をしていて、突然大いなる不調に襲われるということが。
めりはりはっきりしすぎだよなあ。
いやー、今回、母の介護サービス日でよかった!!!

いつもそうだけど
今回も夜中から明け方にかけての変調。
ジッとしていられないほどの胃の痛みが立て続けにやってくる。
ある程度すればよくなるだろうと思うのが人間の常。
と、ところがまーったく良くならずに朝を迎え、気付くと9時!
これはまずい。
タブレットでの検索気力もなく息も絶え絶え。
身体を起こすこともままならないけれどやはり病院か。
這う這うの体でどうにかたどり着き、体をかがめて順番を待つ。
町医者さん曰く「大きな病院で検査をしましょう。すぐ行ってください」
くーーー!!!すぐかよ!
またもや這う這うの体で。。。

大病院。すごい。
受付をすませ、消化器内科カウンターで待っているとすぐにお呼びが。
順番をすっ飛ばしてくれたらしい。
身体をかがめつつうめきながらの問診。
初対面だけど親切な先生でよかった・・・
レントゲンやら便の培養検査やら尿検査やら血液検査やらをし、点滴。
まだシクシクするけれど猛烈な痛みの間隔は延びてきた。
若干二時間の点滴時間で気持ちも落ち着き。

つくづく母がいない日でよかったと。本当に心から。
朝出て何だかんだと夕方近くまでかかってしまった。
帰宅すると丁度母の帰宅時間。
当日は母の面倒やはりしんどかったです。

まだ検査結果出ていない物もあるけれど
まあたぶん胃腸炎でしょう。と。う~ん。ついでに胃カメラ飲みましょうか。
そうですね折角ですから。
生ものも食べてないし分からないけどちょっとした胃潰瘍かもしれません。
ゆる~っとストレスって溜まっていますからね。皆さまもお気をつけて・・・・

母の介護はやはり手もかかるし雑用も多い。
経験はないけれど子育てしてるのとちょっと似てるのかも知れません。
目も離せないし気疲れもあります。イライラももちろん。
なので自分のことはあとまわし。
そこです。
あとまわしと言うのは「後にまわすということ」
ほったらかしにするということではないんですよ。

人間は目の前に優先させることが山積みになっていると
それで自分は一杯なんだと自分を追い詰めていきます。
自分は大変だと了解するとそこから思考が広がりをみせなくなってしまう。
でも本当はもっとノリシロがあるんですよ。
それを見失ってしまうんですね、手短に諸事情がぶらさがっていると。

確かにわずらわしいことを片付けて一日が終わりという感覚がなくもありません。
そんな日々の隙間で自分に手をかける習慣をつけるようにしてます
ちょっとした時間だって自分の時間ですよ。
たとえば
私は母から目が離せないので普段はシャワーを浴びるだけで湯船にはつかりません。
何があるかわかりませんからね。
でもシャワー後に自分の身体をメンテナンスすることはかかさずするようにしています。
足裏にクリームをすり込んだりストレッチしたりちょっと腹筋したり。
そんな合間でも母の様子には気を配れますから。
このブログもそんな時間に更新します。
そうやってちょっとした自分の時間を過ごすことがリフレッシュになります。
当たり前の事なんでしょうけど、以前はそれさえ出来ないほど気持ちがいっぱいだったこともありました。

どんなに大変なことでもきっと時が経つにつれてコントロール出来ていくと思うんです。
ゆっくりゆっくりコントロール出来ていきます。
渦中にあるとそんな時は決して訪れないような思いにかられますけど。
でも今は「介護も日常だからな」と受け取れるようになりました。
日常って自分の人生のほとんどですからね。大切にしないと~







母の事やら個人事業やらをしていますと
それだけで日々がバタバタと過ぎて行きます。
まるで自分をアップしてく時間がないみたいに。
でもそんなことはないんですよね。
思い込みに惑わされてはいけません。
と、自分を戒める日々。

信条。
全ては姿勢からなる。
物事に対する姿勢ではなく、背筋を伸ばす姿勢。
たとえば肩こりとか顔のたるみとかお腹のゆるみとかそういうことです。
もちろんそれぞれのパーツに手を掛けることも大切なのですが
それ以上に日々意識しないといけないことは
姿勢。
もうね、これにつきるんですよ。
歩いてる時も座っているときも自転車運転してる時も電車に乗ってる時だって
これだけれでどれほどの事がカバーできるか。

騙されたと思って試してください。
筋力の弱い方はけっこうきついはず。

以前、生活の全てを懸けて踊っていた私が言うのですから間違いないです。
気を付けなければいけないのは
背骨をそり気味にしないこと。
お腹を内側に引っ込めて頭が上に引っ張られるようにゆるーんと呼吸しながら。
自分が大きく広がった気持ちになって姿勢を正してくださいね。

いくら忙しくてもできることですよ。
気持いいし、気分も上向きになるんですよ。
これからも言い続けますが、何もかもは姿勢をよくすることからですよ。





多分、多いと思うのですが
自分がやりたかったこと、成し遂げたかったことを置いてきてしまった今の自分
という感覚。
そういうのを持ってる人って多いのでは??
まあ要するに過去にとらわれるといいますか
こだわりが抜けないと言いますか・・・

人も年を取ってきて容姿も体力も心も変わっていくので
本来は自分の受け取り方や考え方も相当変わっているはず。
「こうであったはず」の自分に執着していると
自然な変化にあらがうので辛いんですよね。

ちゃんと生真面目に取り組んできた人は余計に「やらなかった、できなかった自分」にとらわれてしまう。
自分で自分をがんじがらめの籠の中に入れてしまいます。

私も当然そのような思いにとらわれた時期は長かったけれど
ちょっと見方を変えてみました。
過去を貴重な経験という価値に置き換えてみるんです。
そんな経験誰に出来るものでもありません。
だからこそ思い入れも強く執着するんですよね。
昔の愛おしい時間はすごい経験。
それを今の自分に生かさない手はない。
経験した人間としなかった人間では、考え方感じ方の厚みも違ってくるというものです。

昔取った杵柄として再度挑戦するのもよし
同じ轍をまた歩いてみるのもよし
ですが
今に反映させるというのも素晴らしい事だと思います。
今の価値観に重ね合わせてみると過去の経験は何でもプラス。

正直ポジティブシンキングとか前向きに生きるとかそういうのはとても苦手なのですが
(なんだか暑苦しいし、押しつけがましい)
自分が不愉快にならないように生きることはちょっとした工夫です。

不愉快に生きてない女性は魅力的。
それで仕事や生活に彩が増えればより良しですね。








仕事をバリバリこなしてきた方や
自分の時間を自由に使ってきた方はもちろん
仲良く同居をしていても
あたりまえに自分のことや家族の事を処理していた親が逆に手がかかる対象になってくると
非常に理不尽さを覚えます。

私は前者で、自分の人生をひっくり返されたような気さえしました。
そうなってくると
介護(介護同居)以前の自分と現在の自分を比較し始めます。
以前はよかったということですね。
気持も時間も囚われてしまうので、親と介護の事しか見えなくなってきがちです。
それは仕方のない事です。
環境が変わってしまうのですから。
親に限らず、家族がなんらかの事情で体が不自由になり
自分がお世話をしなければならなくなったら
誰しもが必ずそういう感情を抱く時期があります。

でも

状況は変化していくものなのだと経験しました。
永遠に同じ状況の中に居るわけではないってことですね。

世の中の仕組みも変化するし、何らかのサービスを利用していれば徐々にではあっても枝葉が広がるごとく
サポート体制も見えてきます。
違うなと思ったものはやめればいいこと。
だんだん自分も立ち回れるようになっていきます。

不自由な状況下にいると人間は「出来ない事」に目を向けがちになってくる。
私もそうです。
出来ることや、良かったことを気付きにくくなってしまう。
これは損です!
今更ながらつくづく思いますよ。
当然できないこともたくさんありますが、出来ることだってある。
そちらに目を向けていかないと、いや~な流れに巻き込まれてしまいますね。

今年は特に「出来る自分」に目を向けて行きたいと思っています。

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