shizuのタフな日々~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 難病の進行性核上性麻痺を抱えるははを介護中。人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

カテゴリ: 心について

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介護施設(デイサービスやショートステイ)の利用の仕方はいろいろとあって
大前提として週に何回以上、月に何日間までとかあるけれど
そこは人間関係なので、長く利用していると何かと融通してくれたりもする。
ウチの場合は私の仕事が比較的立て込む週末メインで利用させていただいていて
その間は心置きなく仕事もできるしストレスは少ないんだけど
毎回「今回はどんな様子で帰宅するか」が私にとってちょっとした問題になっている。

送迎車から車いすで降ろされた状態を見て「身体機能、脳の覚醒度合」はある程度把握できる
声をかけてもいびきをかき続け眠り続けることもあれば、瞳がやけにギラつきとりとめのないことを常に話し続けることも。
抱えればある程度歩行出来るか、全く足が動かないことも。
帰宅するたびに様子は違う。
そしてその様子は次回のショートステイまで続くのでやっかいだ。

便の様子もそう。
全く便意が見られないと思えば軟便続きだったり、三種類の消化剤をその都度バランスみながら調節しているけどなかなかうまくいかない。
昨夜はなんと二回も下痢騒ぎ。
今回は思考もバラバラなので「〇〇さ~ん!〇〇さ~ん!(知人)」と私を呼ぶ・・・
そして翌日も同様の覚醒状態に延々とつき合わされる。

そういうすべての安定しない状況にこちらが合わせないとならないのはナカナカきつい。
日々の小さなことが潰されていくのは。

自分が埋もれていく感じで、それだけの、細切れの毎日という感覚にとらわれてしまう。
まとまった時間がほしいな~と思う
小さな隙間時間ではなくて、自分を見つめられるまとまった時間が。

何処かへ行くのが好きで、空港や新幹線のホームや、あのざわついた感じから車内に入ると空調が効いていて静かで
その飛行機や新幹線に運ばれていく感じも大好きで
旅先の感覚のみならず、それをしみじみ感じたいから一人旅もとても好きなんだけど
もう何年もそんな時間が取れていない。
そんな時間がとりたいなあ、と思う。

生活圏内ではないところで何かを感じたい。

この「感じたい」という感覚は渇望といってもいいくらいだ。
それは自分を「感じる」ということなんだ。

行きたいところは近距離から遠距離までたくさんあるのにな
一泊でいいんだけどなあ
「感じ」られればきっとまた新しく頑張れるなあ
よし。来年の抱負だな。

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介護制度がこのような形になってたぶん17年ほどだろうか
高齢者人口が多くなることを見越しての動きだろうけど
今や介護施設やスタッフも足りていないほど。

昭和の時代、老人ホームは姥捨て山のように言われた時代にだって、もちろん行政のサポートもない中で苦労を重ねて介護生活をされてきた方もいるけれど
今は当然のようにある程度の年齢になれば親の介護を考えざるを得ない。
それを思うと我々世代は初の「介護人世代」
母の時代に親の下の世話をした人がはたしてどの程度いるだろうか。

母はこのところ意識が(頭の中が)乱れることが多く
発言もとりとめなくいろいろな方向から思いも及ばない投球が来る。
「あの子たち(人形)はご飯食べたかしら。」「人形はご飯食べないよ」「そうね。でもお姉さんたちがあげてたのよ」(誰!)
「美味しいわねえ、先生のお姉さんのマッサージは本当においしいわ」
「〇〇(甥っ子の名)のお百姓さんは喜ぶわ」とかいうのが入り乱れて飛んでくる。

文脈やへったくれもないし、つじつま合わせなど出来るはずもない。
私としては「こんな思い出が頭の中で変換されて出てくるのね・・」などと感傷にふける事もない。
毎日のことだし朝から寝るまで常にこんな調子だと右から左へ受け流すことさえ労力に思えるほど。

もちろん頭の様子にも身体の様子にも波があるので
日によってコンディションは違うけれど
やはりここ数年振り返ると、生き物としての機能がグングン落ちてきたことは確か。

突然こうなったのではないし、ここに至るまで数々の山場その大変さを私も乗り越え母も乗り越えて辿り着いた状態だ。
なので「どんな状態になっても、その日よかったなと思えることが一つでもあればそれが全て」
という境地にいつからかたどり着いている。
たとえばニコニコしてるとか、食事が嬉しそうとか、私の問いかけに答えたとかそんなこと。
だからと言ってストレスが減るわけではないけど気が滅入っているよりはいい。

親にこういう気持ちを抱くなんて母には経験がない。
そういう高齢者は多いだろうなあ。高齢者介護なんてごく限られた気の毒な人が行う時代だったんだから、ちょっと前までは。

私だって出来れば親の介護生活なんてしたくなかったよ。
でもそれにふてくされる時期もとうの昔に過ぎたので、介護をしてきて学習したことや感じられたことが人生にプラスになっていると、時間の無駄ではなかったと勘違いコントロールをする方向に持って行っている。
人間思い込むと現実になったりするのであなどれない。
そうなればしめたもので、時間的制約が多い日々でも意外とニコニコ過ごせたりする。
感情コントロール。
思い込み内容は選んだ方がお得ということだ。

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今日は母からちょっと離れたお話し。

20年近く前に亡くなった父は高校時代の友人達と高齢になっても深い親交を重ねてきました。
といってもほぼ助けられてばかりだった覚えがありますが・・・

皆さん社会的にも人間としてもとても立派な方ばかり。
その中でも素晴らしい人間力と優しさで社会的弱者に向かい合ってきた方が
「日本で一番大切にしたい会社」日本理化学工業の大山泰弘氏。

メディアでも取り上げられているのでご存知の方も多いと思いますが
社員の7割以上が知的障害者という、全国初の心身障害者雇用モデル工場を立ち上げた心優しく意志の強い素晴らしい方なのです。

個人的にも何度かお会いしてお話しを伺い
穏やかな心の広さに頭の下がる人格者。
ですがそんな方でも就任時に現在のようなスタイルを目指していたわけではなく
何度も訪れた偶然やトラブルによってその都度方向性を模索されていらしたようです。

誰しもが最初から完成された人間であるわけがありません。
私の介護も右も左もわからない所から現在に至るわけで、その間に折々、母との向かい方、自分の人生との折り合いについて考えてきました。
大山さんもやはりその都度、従業員とその家族に向き合ってこられたよう。
その結果「日本で一番大切にしたい会社」となりました。

そして「働く幸せ」を唱え続ける大山氏の心に刻まれた言葉は
「人間の究極の幸せは
人に愛されること
人に褒められること
人の役に立つこと
人から必要とされること」

いくつになっても人は褒められたいし必要とされたい。
そこに自分の存在価値を見いだすことが出来るから。
たとえ寝たきりになっても自分の何かで人が喜んでくれるのであれば
それは必要とされているという事。
今日は顔色が良い、食欲がある、なんでもいいと思うんです
家族や関係者はそれが嬉しい

家族が喜べば本人も嬉しい
幸せというのは連鎖なので周りに広がっていきます。
大変な状況の中でもきっと嬉しい事はあるはずなんだけど
大変に囚われているとそれが分からなくなってしまってグングン大変に引きずられてしまう。
今の私は、状況は大して変わらない(逆に良くない)けど何だか嬉しいし日々喜べることはあります。
昔は囚われてたなー、喜ばしくない状況に。

自分の幸せだけを追求していくとなかなかたどり着けないけれど
大山氏のように状況に巻き込まれながら周りを見据えていくと
いつの間にか人の笑顔に囲まれたり、自分も笑顔になったりしているのでしょうね。

すごい人ってすごいですよ。





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ありがたいありがたいショートステイ
ステイ中は私も心置きなく仕事に取り組めるというものだ。
時間も気にせずのびのびと。

帰宅して当日、翌々日くらいまでは状態もそこそこ安定している母
しかし、なぜだか必ず三日目、起床時から心身ともに不安定に。
身体を使えなくなり歩行もままならなく
トイレに行かせるのもどうにかこうにか。
ほぼ抱きかかえて操作しているという具合

そんな三日目も過ぎた
本日、昼食をとらせるため食卓につかせてすぐに事態はおきた。
私がシンクに体を向け振り返ったとたん
眼球がグッと上を向き振動し目が濁ってふるえる
身体も硬直し今にも椅子から落ちそうなのをいそいで抱え押さえ。
発作だ。なんらかの。こういうことは初めて
直後血圧測定するとなんと76/46
しばらく様子を見てからゆっくりとベッドへ。
その後はほぼ変わりもなく体調不良もうったえないが
病院へ連絡し担当看護師に意見を聞くも不安感はぬぐえず
検索、検索
既往症がたくさんありすぎの年寄りだし、何もかもが影響し合っているのだろう。

こういうとき一人というのは心細いものだ。
毎回思う。
今まで何度あったろうか。脳梗塞、骨折、転倒、心臓発作、急性胆管炎
繰り返し起こる。
どうにか介護体制が安定したと思っても
高齢者の状態はすぐに変化するので気が抜けない。

その時以降
食卓までの移動も不可。
発作や突然の体調不良を目にするとこちらの気持ちもやられるもんです
自分が具合悪くするのと、人の健康状態を管理するのとでは全く違う。

気が抜けないといってもずっと見張っているわけにもいかない
雑事をしながらちょこちょこ
「どお?」と様子を見にいくと
よくないのよ、と「よくなさそうな表情」を作っていう母
頭の動きも不安定になっているので発言も支離滅裂
不安なんです、と敬語。

場所も人間も良くわからなくなるらしく、そういう時の二人暮らしというのは切ないもの。
「しづは私だよ、私がしづ」「あらそうか、しづって娘の」
「だんだんわかってきた。そうかーしづね」
そして
「しづねえ、背中をさすってあげたい」
なんで?
「愛おしいから」
初めて聞きました。そうかあ、根底でそう思っていたのかと。
「だっていろいろと面倒見てくれているんでしょ?」
なぜ疑問符なのかわかりませんがそういう観念もあるのかと
混乱時に知ることも意外とあります。
こういうのは複雑で切ない。
以前
「勉強するの忘れちゃった、勉強しないといけなかったのに。
じゃないとどんどん忘れていっちゃう」
と言った時には「忘れたらまたおしえてあげるから大丈夫」と伝えたものだった。

そして再び、どお?具合は?
と聞くと
「さっきよりは大分いい。しづがいるからね」と
とてもいい表情をしやがった。
いつも虎のように吠えている私でも考えさせられる
自分の振り子のような心。答えが出ない事というのは世の中たくさんある。

どんどん老いて、様々な機能がきかなくなっていく母との日々。

いつかそれが終了した時
私はどう思いそれからの日々をどう過ごしていくのだろう。
介護生活長すぎてわかりません。


アイフォン2016~ 983

昨日たまたまつけた番組で「盲ろう」の子供たちの事をとりあげていて
なんと国は統計も取っておらず実態を把握していないとか国の予算は全くないとか。
「盲ろう」の子供たちをどう育てていくのか、そういう事も全て民間任せ。
それ自体ひどい話で腹立たしく思ったんだけど
海外から招かれた専門家が「盲ろう」の少女に接するシーン
少女が全くの情報なしに他人に接し、恐れながらも一生懸命考えて危害を加えない信頼できる人間だと
答えを出す過程に考えさせられた.
当然彼女の思考には言葉が無い。
言葉が無く、一人で答えを見つけないといけない幼い子供。

そして同日、またタマタマ93歳の訪問診療を開拓したという医師の番組もやっていて。(Eテレ恐るべし)
彼は「在宅で命を終えること」を50年以上信条とし仕事をしてきたけれど
自らが癌におかされ「いずれ息も出来なくなるほどの苦しみがやってきてそれは辛い。その時に入院するか。しかし入院して再度家に戻れないかもしれない。それとも苦しみの中在宅でその時を迎えるか」という選択を迫られる。
そして迷い、答えが出せない。

人間の可能性や、辛さ、信念や迷い。
強さと弱さ。人間らしさ。
そういう事を考えてしまった。

生まれてること自体がすごい事で自分の体を自由に使えることはさらに凄い事。
その上目標を達成するとなると相当に低い確率なんだろう、たぶん。

「何不自由ない体に生まれてきたのだから幸せなのよ」なんてことが言いたいわけではなくて、どんなふうに生れ落ちても生き物は、人間は、すごくて。凄いけど無力でもある。ということ。

世間的に功績を残した人だとしても無力であると同時に
足跡など何も残せていないと思っている人もそんなことはない。存在していることの足跡はしっかりついているということ。

価値観とは照準がどこにあるかで全く違ってくる。
成功したとか出来なかったとかの線引きはないのかも。極論。
固執してはがんじがらめだ。
できるだけ広い視野でもって自分自身、世間、社会、世界を見て感じなくては。

な~~んてことをつつましく考える日もあります。
でもたとえ嘘でも日々楽しく過ごさないとイカンです。

取り留めのない文章。
自分の覚書みたいなものです。m(__)m


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