shizuのタフな日々   ~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

カテゴリ: 介護について

IMG_4368

介護制度がこのような形になってたぶん17年ほどだろうか
高齢者人口が多くなることを見越しての動きだろうけど
今や介護施設やスタッフも足りていないほど。

昭和の時代、老人ホームは姥捨て山のように言われた時代にだって、もちろん行政のサポートもない中で苦労を重ねて介護生活をされてきた方もいるけれど
今は当然のようにある程度の年齢になれば親の介護を考えざるを得ない。
それを思うと我々世代は初の「介護人世代」
母の時代に親の下の世話をした人がはたしてどの程度いるだろうか。

母はこのところ意識が(頭の中が)乱れることが多く
発言もとりとめなくいろいろな方向から思いも及ばない投球が来る。
「あの子たち(人形)はご飯食べたかしら。」「人形はご飯食べないよ」「そうね。でもお姉さんたちがあげてたのよ」(誰!)
「美味しいわねえ、先生のお姉さんのマッサージは本当においしいわ」
「〇〇(甥っ子の名)のお百姓さんは喜ぶわ」とかいうのが入り乱れて飛んでくる。

文脈やへったくれもないし、つじつま合わせなど出来るはずもない。
私としては「こんな思い出が頭の中で変換されて出てくるのね・・」などと感傷にふける事もない。
毎日のことだし朝から寝るまで常にこんな調子だと右から左へ受け流すことさえ労力に思えるほど。

もちろん頭の様子にも身体の様子にも波があるので
日によってコンディションは違うけれど
やはりここ数年振り返ると、生き物としての機能がグングン落ちてきたことは確か。

突然こうなったのではないし、ここに至るまで数々の山場その大変さを私も乗り越え母も乗り越えて辿り着いた状態だ。
なので「どんな状態になっても、その日よかったなと思えることが一つでもあればそれが全て」
という境地にいつからかたどり着いている。
たとえばニコニコしてるとか、食事が嬉しそうとか、私の問いかけに答えたとかそんなこと。
だからと言ってストレスが減るわけではないけど気が滅入っているよりはいい。

親にこういう気持ちを抱くなんて母には経験がない。
そういう高齢者は多いだろうなあ。高齢者介護なんてごく限られた気の毒な人が行う時代だったんだから、ちょっと前までは。

私だって出来れば親の介護生活なんてしたくなかったよ。
でもそれにふてくされる時期もとうの昔に過ぎたので、介護をしてきて学習したことや感じられたことが人生にプラスになっていると、時間の無駄ではなかったと勘違いコントロールをする方向に持って行っている。
人間思い込むと現実になったりするのであなどれない。
そうなればしめたもので、時間的制約が多い日々でも意外とニコニコ過ごせたりする。
感情コントロール。
思い込み内容は選んだ方がお得ということだ。

IMG_4218

何かとバタバタ続きで(いつも)
すっかりサボってしまったブログですが
今日の出来事今日のうちにしたためたい。

私的には、親の尊厳を守るために(?)シモ関係の出来事は避けて通ってきたのですが
いや、やはり「介護とは下の世話」ということで。
(今回はシモの話題ですので、お食事中は避けていただいた方が良いかもしれません)

今朝、異臭で目が覚める。
ん?猫がウンチしたかな?と思ったけれどそれにしては凄い匂い。
これはもしやと母の部屋へ駆けつけると
やはり・・・・・
就寝時は当然パリパリオムツ(履かせるタイプではなく、寝かせてつけるタイプ)を
一晩安心パットと共に着けているのですが

なんとズボンも脱ぎ、オムツもはずし、下半身すっぽんぽんで。
で、下痢ですよ;;;
泣くよ。
こりゃどこから手を付けたものか。
まずは私の身支度から。髪をまとめて例の処理用手袋つけて、ウエットシート、アルコールシートを用意して
ゴミ袋も用意して。

なぜ、なぜオムツをはずしたのか
良かれと思って「暖かいズボン、暖かいシーツ、暖かい掛布」にしたのがまずかった。
このところ寒かったりそうでもなかったりで、今朝は気温高め。いやそれにしてもなあ

久しぶりの晴天なので溜まった洗濯しようなんて思っていたけれど、そんなのんびりした趣ではなくなった。
何もかも、ほんとに。マクラにまで、ですよ。
は~~~~
それら一つ一つ、ふき取れるものは拭き取ってからまずは水洗い。順番に。
身体も拭かないと。レンチンタオルで拭くしかない。風呂に入れられないのでねえ!!!
そんなことを繰り返し
結果的に洗濯機は5回も回し・・・・(手洗いした後の物を)

想定外すぎて時間をとられ、一日の流れがめちゃくちゃに。
う~む。

そして当然言動もヘンテコリン。
幸なことに母は暴言をはくことはないけれど、なんでもない事でちょこちょこ呼ばれる
例えば「本の中の女の子にご飯あげたいんだけど」とか、そんなこと。
そういう時は一日のほぼすべての時間をとられる

最近は弁コントロールが難しい。
ショートでは便秘気味の母に「良かれと思って」便の薬を飲ませる看護師。その反動がウチで。
逆ならなあ。ショートで下痢しても風呂にも入れるし、備品もたくさんあるし(家だと布団の数も限られてる)
なにより私一人で処理するってのは・・・

で、母にはその後朝食も昼食も食べさせ、その間の私は飲まず食わずで処理って;;;泣く。
悲しい事にそういう時に限って当日予約のお電話をいただいたり。。。泣く。

しかし不思議なのはこんな想定外が起きようとも
絶望的な気分になったり追い詰められた思いになったりは、ない。
ここ数年、心臓手術以降か
私の肝が据わったようだ。そして自分の人生にも。
それまでは結構ぐちぐち感じていたし、悲観したりもしたものだ
今の状態になる「過程」の方が苦しかったなあ。
あたりまえに今より若いから自分が犠牲になっている感が強くて
ここまでになってしまうと、私もすでに達観しているというか。私だってもうこんな歳だしさ、今からの自分を犠牲にしてるとも思えなくなってきた。(今までの恨み節は山ほどあるけど!)
そりゃあ局面では大きな声出したりキーーッとしたりするけれど。

ただ、一日の始まりがそんな感じであるとその後も気持ちがざわついていてなかなかニュートラルになれない。
今日のように言動がおかしい母に対してはなおさらだ。
いちいちカリカリした態度になるのは当然伝わる。
良くないのは分かっているのだけどうまく自己コントロールができない。

そして
「胸が苦しい」という訴えが夕食後のトイレ移動で出てしまった。
手術後は聞いたことのない訴えが。

母の血液検査数値やムクミ、体重変動などに気を配っている私はその一言に過剰に反応する。
病院に連絡をしたりもろもろのアクションは起こしたけれど
その後ふっと気付いたのは
多分朝から緊張の取れていない母が精神的に追い詰められたのだろうという事。
私にそのつもりがなくてもそうなのだ。
しかしなあ・・・それこそが介護の難しいところで
分かっているけれど24時間全て相手に心沿わして対応するのは不可能なのだ。
仕事ではないので、オンオフがないから。
全てをオンにするなんて無理だから。
介護ってあきらめも大切。「ちゃんとやらなきゃ」という自分の姿勢につぶされる。
相手も私も。

何かの番組でやっていたけど
「死を迎え入れる心構えを始めるのは、当人自らトイレに行けなくなったとき」とか
そうかなー。それはちょっと雑なくくりだと思うな。
死と言うより、そこからが本格的介護の始まりだと思うんだけど。
まあTVだから経験者ではない人向けの発信なんだろう。その位がちょどいいのかな。

こうやって高齢者の状態というのは下降していくのでしょうね。
あとはミスをしないよう、風邪をひかせたり、喉にものを詰まらせたりしないよう
慎重に付き合っていくばかりです。

アイフォン2016~ 794

梅雨は?関東の梅雨はどこへ行ったの?
という暑い暑い夏
自宅では相変わらず低血圧と発作を繰り返す母
そして「進行性核上性麻痺はそういう病気でこれからどんどん低くなってくるから」と
全く箸にも棒にもかからない医者・・・・
とうとう、とうとう痺れをきらしましたよ。

心臓の大手術以来お世話になってきた「〇〇会」系列の訪問診療ですが
訪問診療に積極的に携わっている他の病院に転院することに!

頭を抱えていた私はケアマネをしている知り合いにグチをこぼしたのでした。
(はい。ここがポイントです:母のケアマネではなくケアマネ職をしてる知り合い。使えないケアマネに相談しても頭に来るばかりでなおさらストレスが溜まるので)

この地域で長い事仕事をしている彼女曰く
「変えたほうが良いよ。患者第一だから病院は。要請あったら嫌とは言えない。いい病院いくつか教えるから」
と頼もしいお言葉
転院する場合は「医療診断報告書」という情報開示をしてもらえる引き継ぎ書を現在の医者に制作してもらわないとならないのですね
そこに私は引っかかっていたわけですが、
そうと決まればとその日の内に教えてもらった病院へ問い合わせ。
今までの経緯を説明して
医療診断報告書が出来たら動きましょうということに。

そしてすぐかかりつけ病院へ連絡。
報告書を制作してほしいと。出来るだけ早く。なぜなら転院したいから。今すぐにでも他の医者に母を見せたいから。
謝り倒す事務の方は「出来るだけ早くと先生にお願いして出来次第連絡いたします」
・・・・その5時間後に書類完成の連絡が・・・
本来なら二週間ほどかかると聞いていたのに驚きの速さ。
トントン拍子に話は進み
翌日新しい病院の相談員が契約等の為ウチに来ることに。

いらした相談員さんは
とても賢い女性で当然上から目線などではなく
「医師と打ち合わせますから」と
こちらの話をうなずきながら詳細にメモしていき
今までの検査結果データ、お薬手帳などもデジカメで写し
初診の日取りまで決め
手続き完了。

循環器専門医が多いとのこと。ありがたい。
24時間いつでもご連絡ください。すぐ医者がまいりますので。
土日祭日も自費診療ではありませんよ。保険対応ですよ。

・・・・今まで何をしていたのか、と溜息が出るほどの違い。

訪問診療に踏み切ったこの一年半
最初の選択を失敗した!
「〇〇会」系列の病院で一律にすればいいという事ではなかったんだ。
本来はそういう相談事や手筈もケアマネが動いてくれるはずなんだけど
ウチの使えないケアマネは知識もないので私が全て決めてきた。
それが仇になったということね。

お世話になっているショートステイスタッフに転院の旨を伝えると
「よかった!あそこなら安心ですよ。在宅の勉強もとてもされているところで」
立場上、転院を勧めるわけにいかなかったのでという彼女も一安心と言うほど信頼のおける病院らしい。
はーーよかったよ。
とりあえず一段落よ。

あとは「ケアマネも変えなさい」と後押しされている一件も手をくださないと・・・
暑い夏
アドレナリンも噴出し、より暑い夏になりそうです。


IMG_0509

さて
介護対象者の様子というのはたぶん安定状態というのはほぼなく
日々変化していくものだと思うんだけど
数週間前初めて「てんかん的な発作」を起こし、なかなか焦りました。

いつものようにほぼ抱えた状態の手引きでゆっくり食卓に着かせ
一瞬の間、ほぼ白目状態で眼振をおこし手足が硬直。
すぐ気付いたのでイスから落ちないよう抱え、即血圧を測ると
なんと「76・46」。二度計っても同様で。
後から思えば多分15~20秒ほど。その後はいたって通常な状態に復帰したのですが・・・

当然訪問医療サポートに電話したり後日訪問診療の医者に見解を伺うも
う~~~ん。。。断定的な回答は得られず。
大きな既往症がいくつもあるので、私としては致命的な「循環器官系」をまず心配するわけです。
ここは強引に「心臓エコーヨロシク!」と押しまくり
久々に病院にての検査諸々。

ウチの場合、訪問の担当医が総合内科なのでやはり専門医の見解を聞きたいという思いも有り。
循環器の医師いわく心臓関係は問題なく、考えられるのはやはり脳。
「進行性核上性麻痺の影響かと」と。
専門医に徹底して調べてもらい後の診断であるからそれなりに説得力も有り飲み込めるというもの。

私が疑い深すぎるのかなんなのか
どうも医者の「たぶんこうだね」というサラッと下す診断は納得いかないわけです。
というわけで「難病による血圧コントロールの低下」ということで
あとは発作が起きないように細心の注意をはらう、という方向に落ち着いたのですが

このところ歩行もそうとう難しくなってきた母。
膝の痛みも訴えて左右の筋肉の質が違うことは私にもわかるほど
確かにこの「進行性核上性麻痺」というのは
「脳幹、小脳の細胞が死んでいくという病で最終的に呼吸も出来なくなり寝たきり」
ということは知っています。
でもだからといって
「歩けなくなるのは脳病の進行の影響なので筋力をつけても無意味」というスタンスはいかがなものか
「筋力付けても仕方がないよ」というのはいかがなものか。
筋力はあってしかるべき。
たとえ歩けなくても寝たきりでも筋肉が細く固ければ痛みも出るし何より辛い。

クオリティオブライフではないのか。
毎日、今日という日を生きている。
今日はこれができた、今日はこんなことが嬉しかったということを少しでも繰り返したいために
その為に介護や看病をしているんですよ、家族は!
来たるべき寝たきり生活の「準備段階としての今日」にはしたくないのだと改めて強く思うのでありました。




IMG_3601

ありがたいありがたいショートステイ
ステイ中は私も心置きなく仕事に取り組めるというものだ。
時間も気にせずのびのびと。

帰宅して当日、翌々日くらいまでは状態もそこそこ安定している母
しかし、なぜだか必ず三日目、起床時から心身ともに不安定に。
身体を使えなくなり歩行もままならなく
トイレに行かせるのもどうにかこうにか。
ほぼ抱きかかえて操作しているという具合

そんな三日目も過ぎた
本日、昼食をとらせるため食卓につかせてすぐに事態はおきた。
私がシンクに体を向け振り返ったとたん
眼球がグッと上を向き振動し目が濁ってふるえる
身体も硬直し今にも椅子から落ちそうなのをいそいで抱え押さえ。
発作だ。なんらかの。こういうことは初めて
直後血圧測定するとなんと76/46
しばらく様子を見てからゆっくりとベッドへ。
その後はほぼ変わりもなく体調不良もうったえないが
病院へ連絡し担当看護師に意見を聞くも不安感はぬぐえず
検索、検索
既往症がたくさんありすぎの年寄りだし、何もかもが影響し合っているのだろう。

こういうとき一人というのは心細いものだ。
毎回思う。
今まで何度あったろうか。脳梗塞、骨折、転倒、心臓発作、急性胆管炎
繰り返し起こる。
どうにか介護体制が安定したと思っても
高齢者の状態はすぐに変化するので気が抜けない。

その時以降
食卓までの移動も不可。
発作や突然の体調不良を目にするとこちらの気持ちもやられるもんです
自分が具合悪くするのと、人の健康状態を管理するのとでは全く違う。

気が抜けないといってもずっと見張っているわけにもいかない
雑事をしながらちょこちょこ
「どお?」と様子を見にいくと
よくないのよ、と「よくなさそうな表情」を作っていう母
頭の動きも不安定になっているので発言も支離滅裂
不安なんです、と敬語。

場所も人間も良くわからなくなるらしく、そういう時の二人暮らしというのは切ないもの。
「しづは私だよ、私がしづ」「あらそうか、しづって娘の」
「だんだんわかってきた。そうかーしづね」
そして
「しづねえ、背中をさすってあげたい」
なんで?
「愛おしいから」
初めて聞きました。そうかあ、根底でそう思っていたのかと。
「だっていろいろと面倒見てくれているんでしょ?」
なぜ疑問符なのかわかりませんがそういう観念もあるのかと
混乱時に知ることも意外とあります。
こういうのは複雑で切ない。
以前
「勉強するの忘れちゃった、勉強しないといけなかったのに。
じゃないとどんどん忘れていっちゃう」
と言った時には「忘れたらまたおしえてあげるから大丈夫」と伝えたものだった。

そして再び、どお?具合は?
と聞くと
「さっきよりは大分いい。しづがいるからね」と
とてもいい表情をしやがった。
いつも虎のように吠えている私でも考えさせられる
自分の振り子のような心。答えが出ない事というのは世の中たくさんある。

どんどん老いて、様々な機能がきかなくなっていく母との日々。

いつかそれが終了した時
私はどう思いそれからの日々をどう過ごしていくのだろう。
介護生活長すぎてわかりません。


このページのトップヘ