shizuのタフな日々   ~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

カテゴリ: 介護について

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私の世代で親の介護をしている人は
若いころ,こんな大変なことを自分が担うとは思ってもいなかったと思う。
それはあの頃
介護とは「特異な例」あつかいだったから。
テレビ番組などを見て、大変だなあと思っていた。私はその一人。

たとえば寝室からの呼び出しベルで夜中ひっきりなしに呼ばれるとか
理解できないことを言い続ける親に声を荒げるとか

なぜこんな他愛もないことに声を荒げるのかと当時は思ったものだった。
介護をする人は孤独なんだな、と。

現在、当事者の私は
たあいもないことを何度も繰り返す母に
声を荒げる。
穏やかに接することができればと心から思うけれど
それには途方もなく発展性のない時間が必用になる。

たあいもない事とは
たとえば「そこに時計あるでしょ。落ちそうだから気になるの」
実際は落ちそうでもなんでもなく
しかも何年も前から同じ位置に掛かっているもの。
それを、穏やかに普通に説明することだってできる
しかし相手はこちらの説明なぞは聞いていないのだ
自分の主張のみを続ける。
そして執着しだすと止まらなくなる。
その時計の位置を直したところで次々にたあいもない心配事が生み出されていくのだ。
とほうもなく続く生産性のないやりとり。

それはきつい。

なので現実社会に生きている身としては早急にその不毛なやり取りを終了したくなる。
強制終了だ。

理由立てて会話が成立する相手とはこんな非人道的手段はとりたくないけど
相手が納得、こちらも納得という運びが無理だからそうするしかない。
しかしこれには自己嫌悪がいつもつきまとう。
母とのやり取りはいつもイライラしていて何かしら怒っていてせわしなくて乱暴になる。

生産性のない生活と不毛な会話と、それをうまくコントロールできない自分と
何もかもがイライラの要因だ。
人間は、楽しいことがあったり達成感があったりドキドキしたり
多少はそういうメリハリ要素の入った人生を送れないと日々がグレーになる。
淡々と繰り返される日々というのはゆっくり落ちていくのと同じことだ。

しかし私は知っている。
これは自分との慣れあいの甘えだと。
淡々と繰り返す日々が実はどれほどありがたい物なのかも知っている。
問題なのはいつも、提供する側ではなく受け取る側の自分なのだ。
自分を守り相手も守るため強制終了しなければならないのであれば
もっと自分を強く持つべき。

状況に飲み込まれてしまっては自分から生きていることにはならない。
わかってはいるんだけど、たまに渦にまかれそうになる。
問題なのは状況ではなく私だからね。

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ぼやぼやバタバタしているうちにもう三月!
大抵の方と同様、ルーティーンに日々を過ごしているとあっという間だ。
自分の時間も構築しなくてはただただ歳とっていくのみ(!!)なので
母のお世話だけに振り回されないようにしないと。

介護対象となる母が現在どのような状態なのか
これまでどのような流れだったのかを記載するとわかりやすいか・・

現在母は要介護4。
介護生活が始まった15年ほど前は認知症と診断されたけれどどうやら違った模様。
当時の体調はつい3年前に診断された進行性核上性麻痺という脳の難病の影響からだったのだろうと
思う。
「思う」というのは、現時点の担当医に昔からの流れをすべて把握しその度毎の原因を解明してもらうのは無理だから。

・もともと狭心症持ち
・13年ほど前に脳梗塞を発症し入院
・11年ほど前に室内で転倒し頭部挫傷
・6年前に室内で転倒し左肩複雑骨折
・四年前に心臓の弁置換手術と冠動脈バイパス手術で二か月入院
・3年前に急性胆管炎で1か月入院、その後進行性核上性麻痺診断

の後、昨年年初めのインフルエンザ発症の影響で歩行困難になりほぼ寝たきりになるという流れ。
ん~~、こうやって書き出してみると整理しやすいわ。

上記の五つの事項。その度毎に、本当にその度毎に
「発見が早くて!」とか「奇跡的に!」などを担当医にたびたび言われると(医者はすべて違う)
いちいち母の生命力の強さを思う。

が、このような流れと加齢により現在は歩行はもちろん着替えもできず
食事は自力で可能なので助かるけれど震顫もひどく左手はほぼ機能せずエプロンつけても汚さず食事は難しい。排泄介助は1時間半に一回。

ショートステイ(宿泊込みのサービス)とヘルパーさんを利用させていただいているけど
一日中ヘルパーが居てくれるわけではないので日中の仕事はやはりステイしていてくれていないと難しい。
仕事柄週末の方が予定は立て込みやすい事もありショートステイは主に週末に利用させてもらっている。

と、まあこのように人の手を借りてルーティーンを回しているわけだ。
当然今の母より状態の悪い方もたくさんいらっしゃるし、介護が重複している方も世間には大勢いる。
頭が下がる事情を抱えて頑張っている方はとても多い。

私の場合、流れからみると今の母の状態はもちろん初めのころに比べると格段に良くないし
時間も取られ、手がかかるという意味では数年前と比較しても自由はきかない。
では私自身の追い詰められ方はどうかというと
これは介護に入ったころのほうが強かった。

原因として、
・介護制度がまだ安定していなかった
・これからどうなっていくかの不安が今以上に大きかった(私自身腹がくくれていなった)
・どのように制度や人に助けてもらえばいいのか全く分からなかった
・今より若いのでおばさんの図々しさに欠けていた
というのがあるのだろう。
そういう不安な中で自分の立ち位置も不安定だった。

どんな介護も大変なんだ。家族構成もちがうし収入だって様々。いろんな事情がある。
「状態の悪い方のお世話の方が大変で介護度が低い方は比較的楽」なんていうことはない。

人に大変さを語ることができない私だけど、友人知人ではなく介護従事者にはおおいに訴えるべきだということも学んだ。
あちらも対象者をたくさん抱えているのでいちいちこちらの思いを忖度してはくれない。
おおいに訴えるべき、相談すべきだ。その気になれば打つ手はある。
そうすると心に隙間がちょっと出来るから「思い込み」から逃れることも出来る。
そして無理のない自己コントロールも可能になる
何が大変て、介護している自分と付き合うこと。

声を荒げたりイライラしたり冷たくなってしまう自分も居るけれど
少なくとも絶望的になることは無くなった。

こうやって行ったり来たりしながら少しずつ移行していくんだろう。

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介護制度がこのような形になってたぶん17年ほどだろうか
高齢者人口が多くなることを見越しての動きだろうけど
今や介護施設やスタッフも足りていないほど。

昭和の時代、老人ホームは姥捨て山のように言われた時代にだって、もちろん行政のサポートもない中で苦労を重ねて介護生活をされてきた方もいるけれど
今は当然のようにある程度の年齢になれば親の介護を考えざるを得ない。
それを思うと我々世代は初の「介護人世代」
母の時代に親の下の世話をした人がはたしてどの程度いるだろうか。

母はこのところ意識が(頭の中が)乱れることが多く
発言もとりとめなくいろいろな方向から思いも及ばない投球が来る。
「あの子たち(人形)はご飯食べたかしら。」「人形はご飯食べないよ」「そうね。でもお姉さんたちがあげてたのよ」(誰!)
「美味しいわねえ、先生のお姉さんのマッサージは本当においしいわ」
「〇〇(甥っ子の名)のお百姓さんは喜ぶわ」とかいうのが入り乱れて飛んでくる。

文脈やへったくれもないし、つじつま合わせなど出来るはずもない。
私としては「こんな思い出が頭の中で変換されて出てくるのね・・」などと感傷にふける事もない。
毎日のことだし朝から寝るまで常にこんな調子だと右から左へ受け流すことさえ労力に思えるほど。

もちろん頭の様子にも身体の様子にも波があるので
日によってコンディションは違うけれど
やはりここ数年振り返ると、生き物としての機能がグングン落ちてきたことは確か。

突然こうなったのではないし、ここに至るまで数々の山場その大変さを私も乗り越え母も乗り越えて辿り着いた状態だ。
なので「どんな状態になっても、その日よかったなと思えることが一つでもあればそれが全て」
という境地にいつからかたどり着いている。
たとえばニコニコしてるとか、食事が嬉しそうとか、私の問いかけに答えたとかそんなこと。
だからと言ってストレスが減るわけではないけど気が滅入っているよりはいい。

親にこういう気持ちを抱くなんて母には経験がない。
そういう高齢者は多いだろうなあ。高齢者介護なんてごく限られた気の毒な人が行う時代だったんだから、ちょっと前までは。

私だって出来れば親の介護生活なんてしたくなかったよ。
でもそれにふてくされる時期もとうの昔に過ぎたので、介護をしてきて学習したことや感じられたことが人生にプラスになっていると、時間の無駄ではなかったと勘違いコントロールをする方向に持って行っている。
人間思い込むと現実になったりするのであなどれない。
そうなればしめたもので、時間的制約が多い日々でも意外とニコニコ過ごせたりする。
感情コントロール。
思い込み内容は選んだ方がお得ということだ。

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何かとバタバタ続きで(いつも)
すっかりサボってしまったブログですが
今日の出来事今日のうちにしたためたい。

私的には、親の尊厳を守るために(?)シモ関係の出来事は避けて通ってきたのですが
いや、やはり「介護とは下の世話」ということで。
(今回はシモの話題ですので、お食事中は避けていただいた方が良いかもしれません)

今朝、異臭で目が覚める。
ん?猫がウンチしたかな?と思ったけれどそれにしては凄い匂い。
これはもしやと母の部屋へ駆けつけると
やはり・・・・・
就寝時は当然パリパリオムツ(履かせるタイプではなく、寝かせてつけるタイプ)を
一晩安心パットと共に着けているのですが

なんとズボンも脱ぎ、オムツもはずし、下半身すっぽんぽんで。
で、下痢ですよ;;;
泣くよ。
こりゃどこから手を付けたものか。
まずは私の身支度から。髪をまとめて例の処理用手袋つけて、ウエットシート、アルコールシートを用意して
ゴミ袋も用意して。

なぜ、なぜオムツをはずしたのか
良かれと思って「暖かいズボン、暖かいシーツ、暖かい掛布」にしたのがまずかった。
このところ寒かったりそうでもなかったりで、今朝は気温高め。いやそれにしてもなあ

久しぶりの晴天なので溜まった洗濯しようなんて思っていたけれど、そんなのんびりした趣ではなくなった。
何もかも、ほんとに。マクラにまで、ですよ。
は~~~~
それら一つ一つ、ふき取れるものは拭き取ってからまずは水洗い。順番に。
身体も拭かないと。レンチンタオルで拭くしかない。風呂に入れられないのでねえ!!!
そんなことを繰り返し
結果的に洗濯機は5回も回し・・・・(手洗いした後の物を)

想定外すぎて時間をとられ、一日の流れがめちゃくちゃに。
う~む。

そして当然言動もヘンテコリン。
幸なことに母は暴言をはくことはないけれど、なんでもない事でちょこちょこ呼ばれる
例えば「本の中の女の子にご飯あげたいんだけど」とか、そんなこと。
そういう時は一日のほぼすべての時間をとられる

最近は弁コントロールが難しい。
ショートでは便秘気味の母に「良かれと思って」便の薬を飲ませる看護師。その反動がウチで。
逆ならなあ。ショートで下痢しても風呂にも入れるし、備品もたくさんあるし(家だと布団の数も限られてる)
なにより私一人で処理するってのは・・・

で、母にはその後朝食も昼食も食べさせ、その間の私は飲まず食わずで処理って;;;泣く。
悲しい事にそういう時に限って当日予約のお電話をいただいたり。。。泣く。

しかし不思議なのはこんな想定外が起きようとも
絶望的な気分になったり追い詰められた思いになったりは、ない。
ここ数年、心臓手術以降か
私の肝が据わったようだ。そして自分の人生にも。
それまでは結構ぐちぐち感じていたし、悲観したりもしたものだ
今の状態になる「過程」の方が苦しかったなあ。
あたりまえに今より若いから自分が犠牲になっている感が強くて
ここまでになってしまうと、私もすでに達観しているというか。私だってもうこんな歳だしさ、今からの自分を犠牲にしてるとも思えなくなってきた。(今までの恨み節は山ほどあるけど!)
そりゃあ局面では大きな声出したりキーーッとしたりするけれど。

ただ、一日の始まりがそんな感じであるとその後も気持ちがざわついていてなかなかニュートラルになれない。
今日のように言動がおかしい母に対してはなおさらだ。
いちいちカリカリした態度になるのは当然伝わる。
良くないのは分かっているのだけどうまく自己コントロールができない。

そして
「胸が苦しい」という訴えが夕食後のトイレ移動で出てしまった。
手術後は聞いたことのない訴えが。

母の血液検査数値やムクミ、体重変動などに気を配っている私はその一言に過剰に反応する。
病院に連絡をしたりもろもろのアクションは起こしたけれど
その後ふっと気付いたのは
多分朝から緊張の取れていない母が精神的に追い詰められたのだろうという事。
私にそのつもりがなくてもそうなのだ。
しかしなあ・・・それこそが介護の難しいところで
分かっているけれど24時間全て相手に心沿わして対応するのは不可能なのだ。
仕事ではないので、オンオフがないから。
全てをオンにするなんて無理だから。
介護ってあきらめも大切。「ちゃんとやらなきゃ」という自分の姿勢につぶされる。
相手も私も。

何かの番組でやっていたけど
「死を迎え入れる心構えを始めるのは、当人自らトイレに行けなくなったとき」とか
そうかなー。それはちょっと雑なくくりだと思うな。
死と言うより、そこからが本格的介護の始まりだと思うんだけど。
まあTVだから経験者ではない人向けの発信なんだろう。その位がちょどいいのかな。

こうやって高齢者の状態というのは下降していくのでしょうね。
あとはミスをしないよう、風邪をひかせたり、喉にものを詰まらせたりしないよう
慎重に付き合っていくばかりです。

アイフォン2016~ 794

梅雨は?関東の梅雨はどこへ行ったの?
という暑い暑い夏
自宅では相変わらず低血圧と発作を繰り返す母
そして「進行性核上性麻痺はそういう病気でこれからどんどん低くなってくるから」と
全く箸にも棒にもかからない医者・・・・
とうとう、とうとう痺れをきらしましたよ。

心臓の大手術以来お世話になってきた「〇〇会」系列の訪問診療ですが
訪問診療に積極的に携わっている他の病院に転院することに!

頭を抱えていた私はケアマネをしている知り合いにグチをこぼしたのでした。
(はい。ここがポイントです:母のケアマネではなくケアマネ職をしてる知り合い。使えないケアマネに相談しても頭に来るばかりでなおさらストレスが溜まるので)

この地域で長い事仕事をしている彼女曰く
「変えたほうが良いよ。患者第一だから病院は。要請あったら嫌とは言えない。いい病院いくつか教えるから」
と頼もしいお言葉
転院する場合は「医療診断報告書」という情報開示をしてもらえる引き継ぎ書を現在の医者に制作してもらわないとならないのですね
そこに私は引っかかっていたわけですが、
そうと決まればとその日の内に教えてもらった病院へ問い合わせ。
今までの経緯を説明して
医療診断報告書が出来たら動きましょうということに。

そしてすぐかかりつけ病院へ連絡。
報告書を制作してほしいと。出来るだけ早く。なぜなら転院したいから。今すぐにでも他の医者に母を見せたいから。
謝り倒す事務の方は「出来るだけ早くと先生にお願いして出来次第連絡いたします」
・・・・その5時間後に書類完成の連絡が・・・
本来なら二週間ほどかかると聞いていたのに驚きの速さ。
トントン拍子に話は進み
翌日新しい病院の相談員が契約等の為ウチに来ることに。

いらした相談員さんは
とても賢い女性で当然上から目線などではなく
「医師と打ち合わせますから」と
こちらの話をうなずきながら詳細にメモしていき
今までの検査結果データ、お薬手帳などもデジカメで写し
初診の日取りまで決め
手続き完了。

循環器専門医が多いとのこと。ありがたい。
24時間いつでもご連絡ください。すぐ医者がまいりますので。
土日祭日も自費診療ではありませんよ。保険対応ですよ。

・・・・今まで何をしていたのか、と溜息が出るほどの違い。

訪問診療に踏み切ったこの一年半
最初の選択を失敗した!
「〇〇会」系列の病院で一律にすればいいという事ではなかったんだ。
本来はそういう相談事や手筈もケアマネが動いてくれるはずなんだけど
ウチの使えないケアマネは知識もないので私が全て決めてきた。
それが仇になったということね。

お世話になっているショートステイスタッフに転院の旨を伝えると
「よかった!あそこなら安心ですよ。在宅の勉強もとてもされているところで」
立場上、転院を勧めるわけにいかなかったのでという彼女も一安心と言うほど信頼のおける病院らしい。
はーーよかったよ。
とりあえず一段落よ。

あとは「ケアマネも変えなさい」と後押しされている一件も手をくださないと・・・
暑い夏
アドレナリンも噴出し、より暑い夏になりそうです。


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