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母の日にあえて思う
母とは。

ひねくれ者が「あえて」考える母の日。
何に感謝するのか。生んでくれたこと。育ててくれたこと。学校に行かせてくれたこと。
これらは当然全て感謝の対象だしありがたいこと。
生んでもらわなければ私の人生はなかったし
今このようにいろいろなことを感じたり考えたりすることもできなかったわけだ。

二面性があるのが人間で
そこはそれ「介護に立ち向かっている」と
理屈でわかる感謝というものがなかなか感じられない本日。
正直、感謝もすれど恨み節もある。
介護という事実に。
もろもろの流れに。

介護は気持も時間もお金もたくさんの物を注ぎ込まなければいけないので
自分の様々な物を消耗する。手放す。なくす。
それを補うのもなかなか難しい。
介護がなかったら・・という自分の人生を思ってみたりもする。
いや、母の介護問題は結果論で根本はもっと以前のこと。
介護だけを切りはなして考えるとよじれてくる。
亡くなった父の人生感であったり、それに付随する母の依存心であったり
元々の家族のありかたや夫婦の在り方が今現在の私の日々に反映されてしまっているんだ

私は親ではないのでわからないけど
親は子供と自分を切りはなせないのだろうか。
若いころから学生のころから付きまとっていた親の影がいやだった。それを切りはなしたくて離れたくて。
でも結果として今現在離れることは許されなかった。

世に言う「仲良し親子」ではなかったし今もそうではないけれど
憎んでいるわけでもないシンプルな感情。
家族なんだよなあ肉親なんだよなあ、生まれたときからずっと知ってる一番古い知り合い
それが親。
傷つけたり傷つけられたり恨んだりしたことがあったとしても一番長い付き合いが親だ。

よほどの事が無い限りいくら大変でも「嫌い」にはならないんだろうなあ。うんざりはしても。
「ありがとう」とは違うかもしれないけど
「ここまできたね、長い付き合い。母よ。」そんな母の日。