
「まっすぐな道もいいですね」
前回の投稿からすでに半年以上
母の状態は特変することもなく(ちょいちょいのトラブルは有)着々と老いは進み、すでにポータブルトイレを使用するのも難しい。
私一人で彼女をトイレに座らせる流れ自体が危険なので仕方なく紙おむつオンリーのスタイルになっていたけれど
度重なる血尿(膀胱炎)のため、昨年末から尿道に管を入れバルーン処理を続けております
寝たきりの人が膀胱炎になる理由としてほぼ身体を動かさない為に(たとえ体位変換をしていたとしても)膀胱下に排出されないカスがたまり、それが悪さをして炎症をおこすことが多いのだそう
バルーン処置をしていると膀胱に尿が溜まらないので膀胱炎対策としてはいいそうで。
相変わらず、週末にショートステイ利用させていただきその時に集中して接客仕事(仕事はマッサージ個人店)というスタイルでどうにかやりくりしていたここ数年
先日、施設から諸行無常を改めて実感する連絡が
役所からの通達でショートステイの床数2/3を特養老に回さないとならなくなり6月からはショート利用を今までの半分にして欲しいとのこと。
これは頭を抱える案件ですよ。
しかし施設側から「お母様は長いお付き合いでもありますし、特養老のベッドをよろしければ一つお空けします」とありがたい特別通達をいただく。
これは一般的には大喜びのご連絡ですが
ここから私の面倒くさいメンタリティ発令。
難病を抱える母はすでに92。この20年難病は進行し、脳梗塞、打撲、骨折、ショートでの事故、心臓の大手術、胆管炎、インフルエンザで危篤、等など数えきれない局面を乗り越え
その度毎に母の命を繋げてきたという思いがある私は「今更人様に何もかもお任せするのは不本意」だと思ってしまったわけです
特養老にお世話になるということは生活全般、医療に関しての決定権も9割方お任せするということですから。
注)*これは私と母の関係に限った話です。特養老ショートの方々にはとてもお世話になり心から感謝しています、このような施設があるからこそどうにか世の中まわっていると存じております。
様々なご意見がありますし当然、新ケアマネ(たまたま今月からケアマネも変わりダブルパンチ)からはこれから起こるであろうマイナス要因を山ほど並べられましたが
一番大変だった時期(10数年前)、助けてほしかった時期(数年前)に事は運ばず
そんな絶望期を越えて「この歳になってしまった私」は母と徹底的に向き合い切ることで自分の20年の落とし前をつけたいのだと思います。私のこの20年は何だったのか。を。
特に仲の良かった親子関係でもなくただ長い付き合いになってしまったというだけですが。
他のショートステイを探し、ダメであったら見つかるまでヘルパーの手を借りて
訪問診療など今も利用させていただいている様々なサービスのバランスをとって
2件目のステイ先が見つかる新たな流れに乗れるまで当面はそのようにしのいでいこうと決断しました。
どのような介護形態でもそうでしょうがシングル介護というのは特に、時間を含めた自分の膨大な物を介護に置き換えるという感覚が強いと思うのです
親とはいえ他人の人生や命の決断をしなければならない局面がたびたびあるのも疲れますし、その度に決断の善悪にさいなまれます。
こんな年齢になるまでそれをしてきたのだからやり抜くのが自分との折り合いであると思ってしまっているのです。
全ての面倒を見ていただければ当然「楽になる」のでしょうが、私の場合は「やり切った」という思いは得られないのだろうな20年もやってきちゃったからな
重ねて申しますがこれは「私のケースです。」家族形態はそれぞれ、思いもそれぞれ、決めるのは自分。
介護に(きっと子育ても、きっと看護も)絶対的な正しい選択はありませんね。