shizuのタフな日々   ~私と仕事とシングル介護~

フットケア・心身メンテナンス「ハーモニー」主宰・マツサカのカミングアウト人生。 人生投げ出したいこともあったけど今はタフ。これからも淡々とワクワク生きていきたい備忘録。

2016年04月

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このブログは、仕事や介護を通して自分の心持をつづるという趣旨で
状況のみを書き並べるつもりはないのだけれど
今回は「心持」をつづるにしてもこの二、三日に起こった出来事を述べない事には始まらないので
まず出来事1から。

母は訪問マッサージというものを受けているのだけれど(週4日も。ありがたい・・)
そのマッサージのお兄さん(とはいっても国家免許を持ちキャリアもしっかり)がとても良い方で
いつも穏やかにニコニコと話をされる。
先日「パーキンソンということはないでしょうかね・・」とぽつりと。
確かに足の運びも悪いし震顫(手の震え)もあるし日によって症状のばらつきがあるのが気になっていたところ。
ただ私はずっと「一年半前の心臓の大手術の影響と老化だ」と思い込んでいて
パーキンソンという発想はなかった。
なので早速調べてみると、どうやら神経内科らしい。
出来るだけ早めに受診させるか、と思ったけれど思いつくと即行動に移さないと気が済まないタチ。
心臓でお世話になっている病院の神経内科に予約を入れ、翌週(今週)受診した。

神経内科って今までおせわになったことがないし
どんな科なのか検討もつかなかったけれど、脳や脊髄、そこから全身に張り巡らされている神経が専門の科らしい。
そうかそうか。脳内科みたいなもんか。。

さて。ドクターはまず母の手首の可動域を見たり、立たせて手引きで歩かせたり、過去話を母に振ってみたりしてファーストインプレッション。
私の話に耳を傾け「たしかにパーキンソンの症状はありますが・・・いろいろお話したいこともありますのでまず検査を」ということでCTを受けることに。
頭部CTを受け待つこと一時間・・・・
検査後の受診でもドクターの診断は「進行性核上性麻痺」
詳しくは書かないけれど「神経難病です」とのことで結構大変な病気という診断。
まあパーキンソンも難病ではあるけれど、パーキンソン症候群のまた違う病気らしい。
たくさんのCT画像を見せられて説明を受けていると、病院と言うシチュエーション上なんだか絶望的な気持ちになってくる。
ただ。それとは逆に、なるほどそういうことだったのか。と釈然ともする。
なぜ毎日まるでコンディションが違うのか。朝目覚めないとそれがわからないいらだちとか、さっきまでそこそこ歩けていたのに今はまるで足が出ない、とか。ウタタネから目覚めると人が変わったように躁状態やら鬱状態になっていること。とかそういう諸々の母の状態にこの診断で釈然としたわけだ。

そうかそうか、そうだったのか。。。。
は~~~~。心臓心臓とばかり気に掛けていたからなあ。
ドクターにも「遅いなあ。。もっと早く受診しないと」と言われたけれど、そんな発想は全くなかった。
気になっているのは心臓で、体調が悪ければ「血流かなあ、やはり老化かなあ。心臓のダメージね」と思っていたわけだ。
マッサージのお兄さんに助言されなければ神経内科を受診することもなかったろう。。。

でもやはり脳のCT画像はちょっとダメージ強いなあ。。難病かあ。早めに区役所行って話を聞こう。難病指定受けないとなあ・・・とグッタリしていたわけなんですが
ことはこれに終わらず。
 ~2に続く~

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う~む。。わかってはいるのですよ。
本当に誰よりも理解は出来ているつもりです。
そりゃあ、
どんなにイライラしていてもバタバタしていても思うように事が運ばなくても
なにがあっても
穏やかにゆったりと母と接するのが一番だということは!!

タメイキが出る毎日なので、お手伝いに来て下さるヘルパーさんに
ちょっとグチをこぼすことがあるんだけど
「あたなはちゃんとしようとしすぎでお母さんに厳しい」と。
「もうね、仕方ないのよ。出来ないんだからペースに合わせてあげないと。
そうね、そうねとユックリしてあげればいいのよ」
と、言われてもですね。。。

とても良くしてくださる方で、彼女じゃなきゃダメという部分もたくさん。
私も大好きなヘルパーさんなんだけどさあ
う~~~ん。それはね、私が一番よくわかっていること。わかっていても出来ない時だってあるんだから。
私のタイムスケジュールというのも当然あって。仕事もしてるんだからね。しないわけにはいかないでしょうがっ!
朝「さあ出ましょう!」というときにトイレといわれたりしたらやはり気持ちも焦ります。
私が焦ると母の出ない足もなおさら動かなくなるのもわかってるんだけど・・・
そこは生身の人間・・・
毎日が交感神経マックスの状態。。

私は毎日が葛藤なのですよ。自分との葛藤。
自己コントロールの仕方が分からなくなる時もある。混乱するときも。
人にどうこうしてもらえない自分だけの戦いですよ。
それだけでグッタリきてしまう。
トイレだってゴハンだって一日に一回だけちゃんとしてあげればいいというものではないから。
毎日数回。夜中も数回のときもあるしそれが毎日続くのですよ。
そしてこれは仕事ではないので頑張って報酬があることではない。
ありがたがられるものでもない。協力者が身近にいることでもないし。
砂漠でしょう?

だから逆説的だけど、それとのせめぎ合いでカリカリはしても
仕事が無いと生きてられない。と思う。
仕事があってお客様とのコミニュケーションがあってそこで初めて
自分が生きているんだと思うことが出来るんです。
もっともっとたくさん仕事がしたい!!!!!
仕事って本当に大切ですよ。生きる意味だよ。

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シングル介護。ということは母と二人。
まあ今までそう書いてきて、それは事実なんだけれども・・・

実はウチにはもう一人家族が。
それはネコです。
ミケネコ。女の子ちゃんなんだけれども
彼女は本当に大切な家族。
彼女の居ない我が家は考えられないし、それはそれはギスギスとすさんだ空気になることだろう。

多くの方が動物と生活を共にしている昨今、お分かり頂けると思うが
動物の邪心のなさというのは、何か魂が救われる思いになる。
あちらからもこちらからも問題事項が山積で
身動きがとれない思いに駆られる日にも、彼女がいつも同様ニュートラルに存在してくれるだけで
どれほど心が安らぐか。
常にニュートラルなんて煩悩の塊である人間には不可能
その煩悩やら、ささいな欲に縛られて自分を追い詰めていると理解できていたところでどうにもならないという
人間の情けなさをサラッと流してくれるのが人間以外の生物達。

勿論今の時期飛来しているツバメを見ても
愛すべきマンションネコと接しても口角はゆるむわけだが
やはり、数年間寝食を共にしている「家族としての生き物さん」は別格で。
ネコだから常にある程度の距離感はあるんだけど
それでも彼女なりに気を遣ったり甘えたりという微妙なしぐさも私にはわかる。
邪気のない、曇りのまったくない瞳を見ていると
この小さなかけがえのない命は守らないとな、と子供の居ない私なんかは思うわけです。思わせてくれるわけです。

自暴自棄になりそうな時も
そんな一瞬を思いとどまらせてくれる、大切なたいせつな家族。
ギスギスしがちな母と私の間の潤滑剤。
頬をゆるませてくれる彼女がいてくれてこその介護生活だとしみじみ思いますよ。


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いろいろ書いているけれど
パツパツで救いようもなく追い詰められている・・・・という精神状態ではない。
そう。私はいつもそう。

パツパツではあっても「やばい!」と思ったら「いけないね~」と何かしら対策を練るから。
対策?そんなたいそうな物じゃないか。ちょっと思考回路をいじってみるという。

以前も書いたかもしれないけれど
ポジティブとかなんとかそういう言葉はあまり好きではないので

なんというか・・・工夫してみる。
それはやはり思い通りにはいかないものですよ。中には思い通りに言っている方もいるんでしょうが
皆がそうではない。

でもその中でも絶対に毎日心がほっこりすることがある。
必ずあるんです。ただそれをキャッチ出来なくなると「ない」と思ってしまう。
何かしらに追い詰められていても隙間を空けてあげないとキャッチするスペースがなくなるので
そこは少しでもスペースを作っておいたほうが良いです。

「ダメだ」と感じているときは世間の何もかもが自分を避けているような、そんな思いになってしまう。
そういう時は「他人と自分を比較するな」とか「過去の自分にとらわれるな」なんていうありきたりの事は無理なので
「ダメな状況だな~」と仕方ないから受け入れてしまったほうがいい。
その中でもがいている自分をちゃんと見てあげないと。

大抵は(全てではない)、「救いようもなく悲しい」という感情は自分が作り出しているので。
状況というものはもう仕方ないから正視、理性的になるんですよ。
感情がそこに乗ってしまうと悲しかったり、どんどん辛くなったり自分を追い詰めていくので
途中でそれに気が付いて「あ。やめた」という流れになることをお勧めします。
そうすると気持ちに少し隙間ができるので、他の空気が入ってきますよ。
ね??ポジティブシンキングとは違うでしょ~~~。



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また桜の季節がやってきた。
毎日通る渋川の桜並木。毎年眺める桜。
もう枝振りまで把握している。
でも毎年感心する見事さ。
この時期は毎日「きれいだなああああ!!」と思わせてくれる。
キレイだとか素晴らしいとかを感じることは、この殺伐とした日々の中では貴重だ。

グングン老化していきドンドン手がかかる母と向き合う毎日ではなおさら。
いや、殺伐を感じているのは当然私だけではなくほとんどの大人たち、若者たちでさえ
そういう気持ちにとらわれることが多かろう。
どうにかしてくれ政府。
改めて自分の足元を見ると、殺伐の根本は介護であるわけだが。
しかし、その殺伐にとらわれ続けていると辛すぎるわけで、そういうときに
美しい!などと心から感じることがあるのはとても大切。

人間ほっとくと大変な方に目が行きがちだし殺伐に埋もれがち。
私もどうにか気持ちを分散していかないと一方向にとらわれ身動きが取れなくなってしまう。
介護介護介護。。。は~。なんのためのシングルだよ。介護の為かよ。と思う。
まあそうなんだろう。
でもそう思いたくない、そうしたくないのでバシャバシャあがくわけです。
もっと自分自身の肯定的な思いをたくさん見つけたい。
満開の桜はそんな気持ちをすくってくれる。
見方によっては空しくみえることもあるんだろうけど
でも私はサクラの時期を全肯定したい。
もっとさ、私の人生介護だけじゃなくあるはずなんだよな。介護に埋もれないようにしないとさ。


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